どうもこんにちは!プリングルス大好き頸髄損傷ボーイさんちゃんです。
この記事を書きながらいつも思うんですがその当時を思い出して書いたりメモを見ながら書き起こしてるんですが当時の辛い思いが蘇ってきたりすることもあります。
ずっと受傷してからの低迷期(僕は暗黒時代と呼んでいる)を書いてるからそうなっても仕方ないかなっと。
そしてここ一週間ほど体調を崩したり用事があって死にそうでした^^;
咳が止まらなく4,5日ほど経つとこのまま肺炎かなにかでやられてしまうんじゃないかと不安でした。(頸髄損傷の場合、痰を出すことが難しく肺炎にかかるリスクがあります。)
病院に行って薬を飲んだら一気に復調気配が出て今に至ります。
早めに病院を心掛けよう。。。
今回の記事はリハビリ病院に入院して少しずつ上昇傾向になっていく話になります。
前回までの続き
wheelchairfamily.hatenablog.com
2014年1月。
まずはなにが始まる入院生活!
いきなりですが付き合っていた彼女と別れました。
これから何年かかるかわからないリハビリ生活。
結婚適齢期を迎え出産も考えてる彼女。
受傷前に彼女はこの年齢までには結婚して子供ほしいなぁっと言ってました。それも知っていたので自分がずっと引き留めておくのも悪いと思いつつメールで伝えました。
会って話をすると泣くのもわかっているし、グダグダになるのも嫌なのでここはきっぱりと。
正直辛かったですが彼女は彼女の人生があると思うとこれで良かったと思います。
あとは自分の人生を頑張って生きていくのみ!
とは言ったものの相変わらず自走式車椅子は乗れず。。。
少しずつ体の柔軟を出すためにストレッチの毎日。血圧が落ちる落ちるw
そして3月。担当してくれているPTの先生が自分の体に合った病院の自走式車椅子を用意してくれた。そして乗った。
車椅子を自分で少し動かしてみると動けた。
「おお!!鳥のように自由や!」
担当のPTはニコッと笑ってくれてたのを鮮明に覚えている。
ここからは車椅子に体をなじませて慣れていく生活が始まる。そしてADL(日常生活動作)を学んでいく。
朝の歯磨きから顔を洗う動作、食事、着替えなど。
慣れるまでが大変。。。
徐々に始まる夏。
この時は導尿(排尿)の練習をしていた。
導尿とは尿道にストローぐらいのカテーテルを差して排尿をする。
考えると痛そうだし怖いですよね。
感覚がないから全然痛くない。だからこそ気をつけないとだめなんですがね。
以前まではオムツに垂れ流し状態だったけど導尿を覚えることでノーマルパンツを履くことができます。衛生面でも導尿がいい。
指がうまく使えないので最初は難しかったけど覚えてしまったらあとはスピードが上がっていくだけ。
排便は相変わらずベッド上で看護師に処置してもらっていた。
9月。友人の結婚式。まさかの出会いが!?
地元の仲の良い友達が結婚式をあげるので神戸から福井まで一時帰宅。このためにリハビリを頑張ってきた感じはあった。
地元の雰囲気や空気感が好きだ。
結婚式に出て披露宴を無事に終えた後、二次会があるので少しの間待ち時間があり近くの大型ショッピングモールにいた。
映画館も併設されておりそこのテーブルに一人で寝ていたら(飲みすぎ)
誰か後ろから声をかけてき
さんちゃん・・・・???
おお!!(1月に別れた元カノの名前)
元カノ なにしてるの?
自分 休憩中。(酔っていて切り返しがうまくできなかった)
元カノ そっか~
元カノと母親が一緒にいたのでそのまま、またなぁ~で終わりました。
地元に帰って数時間で元カノと会うということは縁があるでしょって思った方。
ドラマだったらここから奇跡の復活劇に期待することでしょうがそんなことは一切ありません。
期待もしていなかったけどまさかここで会うとは。地元は狭い。。。
車椅子に乗って一人でいる姿を見て成長したなっと思えてくれてたらそれだけでオッケーです。
9.10月。この頃にはベッドから車椅子に一人で移乗出来るようになってきた。
【車椅子】頸髄損傷、車椅子⇔ベッドに前方移乗(Quadriplegic transfer)
こんな感じ。
そして退院(横の自立訓練センターに入所)の時期を迎える。
この時大きなミスを犯したまま自立訓練センターに行くことになる。
それは。。。
続く。。。