どうも!こんにちは!仕事が始まり曜日感覚がだんだんわからなくなっている頸髄損傷ボーイ!さんちゃんですw今日は何曜日??
ついに来ました!ベストシーズン!!9月から11月までが車椅子ユーザーにとっては最高な時期。冬のオフシーズンまでわずかですが楽しみましょう!
冬は寒くて体がついていきません。。。
さぁ最終回!!前回の続きはこちらから!!!
wheelchairfamily.hatenablog.com
まずここで出会えた病院や訓練課の仲間達最高でした!!職員の方たちもいい人ばかり。
ありがとうございました。
こんな動画も作れるようになったのも訓練科の仲間達のおかげ。PC能力ほぼ0に近かった(笑)
訓練課
訓練課で主にしていた訓練はとにかく車椅子を漕ぐこと。体力をつけるために坂道漕いだり、同じようなところをぐるぐる回ったりバスや電車に乗って遊びに出かけたり時にはオールナイトで遊びに行ってヘロヘロで帰ってきたこともありました。
色々なことが勉強であり新鮮な経験ができました。遊びに出かけることで自然と体力がついていきます。みんなに必死についていくので精一杯。
訓練課のプログラムで勉強になったのが車椅子応用操作。この応用操作の中で片手漕ぎだったり車椅子のキャスターあげだったり生活に役立つ操作などありました。
公共交通機関
バスや電車に乗ることも駅員さんやバスの運転手さんにしっかりとスロープお願いしますなどとコミュニケーション取れれば問題なくいけます。訓練科では公共交通機関をよく使って出掛けたりしたのでこの辺はもうへっちゃらです。車椅子5人で出掛けたりするとバス3台に分けたりして行動していました。
車の運転
訓練課メインの車の運転(手で運転する手動装置車)も最初は慣れずに怖かったが徐々に慣れていった。毎日4.5km前後のスピードで車椅子ユーザーが漕いでいるのに一気に40kmの車のスピードに慣れるのは大変だった。。。
そして車椅子を車内に積み込む動作が苦労しました。
僕の場合は車椅子が大きいから車椅子に合わせて車を買うという逆転発想で車を購入した。
運転席の間口が大きいのを選ばざるえなかったが車種にこだわりが特になかったのですっと車種を決めれました。
そのおかげでなんとか車椅子を積み込めるようになった。当時は10分前後で車椅子を積み込んでたが今では2.3分あればいけます。成長って凄い!!!
ここまで訓練科入所から約2年半。
長すぎる。。。
褥瘡があったから長引いているのは察してください。
さぁみんな気になる排泄関係。
尿意と便意。
尿意
訓練課入所してから約1年ぐらいからうすぅぅぅぅぅく感じるようになりました。100%おしっこしたいなぁと基準があるなら3%ぐらいわかってきた(わかってんのかそれw)
だからおしっこかな?っと思ってトイレに行ってもあれぜんぜんやんってこともよくありました。今現在(2019.09)は尿意90%ぐらいはわかります。たまに外れますw
そして漏れてパンツやズボン履き替え。。。
尿意は経験やタイミングで少しずつわかってきました。少しの変化でも体に違和感を持って向き合っています。
訓練課に入って2年ぐらいしてから20%ぐらいわかるようになってきました。と言っても便が肛門の近くになってきたら感じ取れるぐらいです。今現在(2019.9)は腸の動きがわかるようになってきました。腸が動くと排便に繋がるのでこれが便意の合図でもあります。
これがわかっていてもすぐトイレに行って便座に移るということはできないので漏れます。。。便が漏れて車椅子に乗っていると寒気やぞくぞくが止まらないです。過反射というのを起こしているみたいです。早く取り除かないとおかしくなりそうな感覚です。
もちろん臭いです。。。
僕は便座に移れないということで専用の車椅子に移って排便をしなければいけないんですがそこに移乗している間に大惨事になりますwww
この排便用車椅子は排便してそのままお風呂にも入れるようになっています。この排便用車椅子はお尻の穴のところがくりぬいてある特殊な車椅子です。
なんか可愛いのが乗ってますが実際のシャワーチェアーです。
この車椅子に自分で乗ることが出来たらお風呂(シャワー)も入ることができます。自立度もあがります。流れでお風呂後更衣も練習して出来るようになりました。
文にして読むと想像がつきにくいと思うので僕はYOU TUBEに動画でUPして色々と説明をしています。よかったらチャンネル登録おねがいします(コッソリ)
なぜそんなことをするのか?
人生の選択肢を得てほしい!
知らないのは損すぎる。。。
その思いから同じような状態の人や家族などに知ってもらえることで選択肢を増やせれればいいなっ思っています。やれと言われてもやらない人はやらないし、やる人はほっといても勝手にやります。だけど周りがやっているから自分も少しやってみよう!そんな気持ちになれたらあとは苦しいけど楽しい人生が待っていると思います。
そんな訓練課でした。
残りの訓練課1年半は自宅に帰るためのバリアフリーハウスの細かい設計や建設に時間を費やし訓練も楽しくできました。濃い仲間との時間が楽しく人生の伴侶まで見つかっちゃいました。
まとめ
今の自分を見ると最初からそんな元気だったの?って思うような人もたくさんいると思いますがここまでを読んでもらったらわかるように辛かったことのほうが多いです。
綺麗ごとは言いません。しんどかった。
誰のせいでもなく自分のせいです。
ただこういう経緯があったよと伝えたいだけです。
2:8で2が楽しい8がしんどいです。けどその2を10に書き換えることで
人生が楽しくなりました。
受け止め方次第で自分の人生を楽しくすることができることを教えてくれたのが
この頸髄損傷という障害でした。
書ききれない話がたくさんがありまだまだ終わりたくないんですが首折れ話最終回はここでいったん終わります。
バリアフリーハウス、奥さんとの出会い、福井という田舎での暮らし、今の仕事と出会うまでは?をまた書いていきます!
人生を変えてくれた訓練課ありがとう。
そして最後まで読んでもらいありがとうございます。。。