ウィルチェアファミリーチャンネル

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散在性脳脊髄炎って?障害受容までの道のり

あっという間に夏は過ぎて、9月に入りましたね。

日中は暑いのに、朝晩は寒い季節…

皆さん体調は大丈夫ですか?

アレルギーが絶賛悪化中のayaちゃんです(´;ω;`)

 

 

 

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今日は夫の障害受容の過程ついて記載していこうと思います。

 

 

散在性脳脊髄炎(ADEM)とは?

夫は、2014年に散在性脳脊髄炎を患いTh5の脊髄損傷となりました。

そもそも、散在性脳脊髄炎?なんぞや?ってやつですよね。

ウイルス感染や予防接種後に、脳や脊髄の白質に広範囲に障害が生じる疾患であり、自分自身の免疫反応が異常を来すため発症するそうです。

罹患率は10万人当たり0.8人で、子どもに多い病気です。

 

当時25歳だった夫。(私との出会いはこの2年後)

発熱が続いて内科を受診し、風邪の診断で解熱剤を処方されたそう。

1週間経っても解熱せず、頭痛が酷くなり脳神経外科を受診。

大きな病院を受診するよう言われ、すぐさま総合病院へ・・・。

おそらくウイルス性の脊髄炎との事で即入院となるも、日々症状は悪化。

高熱、頭痛、幻視、排泄機能障害が出現し1日に20回以上トイレへ歩き、バルーン挿入。MRIのため鎮静をかけた際に急変し、痙攣を繰り返す。人工呼吸器を付け大学病院へ搬送となった。

ステロイドパルス療法やガンマグロブリン療法でなんとか状態は落ち着いたものの、何度か生死をさまよっていたらしい。約1ヶ月続いた昏睡状態。

(いろんな種類の抗生剤を使ったため、耐性菌ができちゃって今後使用できる抗生剤がかなり限られてしまった・・・)

目を覚ました時には、目しか動かせなかったそう。

日に日に回復はしていくものの、指先が動く、首が動くと本当に少しずつ。

最終的に、Th5完全の脊髄損傷となったのでした。

 

障害受容までの道のり

告知は突然に・・・

夫の場合は、家族が本人へ告知するタイミングを悩んでいて、医療者側にはまだ伝えないで欲しいと希望していたらしい。(病状の回復、障害固定までですでに1年経過していた)

体が徐々に回復してきて、今後全快するだろうと信じていた。

そんなある日、入院も長くなってきて仲良くなった看護師にポロっと弱音を吐いた・・・(そりゃあ弱音の1つどころか100個くらい吐きたくなるよね)

そしたら看護師に「なに言ってんの、これからその体とずっと付き合ってかなきゃいけないんだから、リハビリ頑張らないと」とまさかの告知を受ける。

食事を何日も取れないほど落ち込んでたらしい。

現実を受け入れるまでの葛藤がわかる文章があったので少し抜粋して・・・。

リハビリ途中でまだ字が上手く書けてないですが。

(生前、自分の経験が誰かに役立つならと話していたので許可は得たという事で)

 

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文章から、沢山の葛藤・辛さ・悔しさ、言葉では表せないくらい考えて、考えて、考えてきたんだろうなと思ったのでした。

衝撃の告知後も、リハビリを重ね、少しずつできる事が増えていく。

1人で座っていられる、移乗できる、自己導尿できる…たくさんの出来るが増えていく。

まだまだ障害受容はできないながらも、新たな生活技術を得る事で、少しずつ前を向いていき、約2年の入院生活を終え自宅へ退院しました。

 

人目が気になる・・・

退院してすぐ、私は訪問看護師として夫と出会いました。

仕事で受診同行する機会があったのですが、病院内ではキャップを深く被り、俯いていた姿が今でも思い出されます。口数も少なく、人とは関わりたくないオーラが出てました。

後に、お付き合いをするようになり、一緒に近所を犬の散歩する時ですら回りを気にしていました。(ちなみに初デートが犬の散歩♡)

人目が気になるって、自分の事を自分で認められないから、過剰に反応してしまっているのではないだろうか。

私の住む町は、ドの付くド田舎。生きてきてマイ車椅子の方に出会った事があるのはたった2回。そりゃあ周りも見ちゃいますよ。だって珍しいもん。

当時の夫は「なに見てんのやって思う。なりたくてなったわけじゃない」「足だって細いし、腹もでてる」ってよく言ってました。

そんな時に、人目を気にする夫に大事件が。

私の息子と買い物に行った時の事。終始息子は夫の膝に乗りたがる。

基本YESマンの夫は降りて!と言えないわけですよ。

お客さんにはもちろん見られ、笑われ、「かわいい~」とまで声を掛けられる。

もうね、きっとなにかが外れたんでしょう。その後は一切人目を気にしなくなりました。(嘘でした、1度だけありました。結婚式です。一切友人を呼ぼなかった結婚式のお話はまた後程)

一人で出かけるようにもなって。どこにきっかけがあるかなんてわからないですね。

うみの杜水族館なんて、プッシュアップ以外全て夫のお膝で制覇した息子でした。

犬も乗る、息子も乗る、わたしも乗る。

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手動運転装置付きの新車を購入、そして就職

どこへ行くにも必要となるのが車。

2018年、手動運転装置付きの新車を購入しました。

自分の運転で出かけられる事がとにかく嬉しそうでした。

今までは仕事に対しても前向きではなかった夫が、自らハローワークへ出向いたのでした。

臨時職員ではあったものの、事務職で就職。

発病前は板金屋として働いていた夫。たまに「屋根やりてぇな」と話してた。やった事のない事務職。ここでも葛藤して、自分の気持ちに折り合いつけてきたんだと思う。

それでも1つできる事が増えると、次へ、次へと繋がって行く。

この年が、1番生き生きしていたと思う。

もう、夫の口からマイナスな言葉はほとんど聞かれなくなっていました。

2014年に発病し、脊髄損傷という後遺症が残った。

2018年、4年の歳月をかけて今の自分を受け入れて、前へと進んで行ったのでした。

 

障害受容の過程は本当に人それぞれ、10人10色のストーリーがあると思います。

今回は私から見た夫の受容過程です。

 

受容過程について参考までに恐ろしく読みにくい、フィンクの危機モデル貼っておきますね。

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あと、これだけは言っておきたい、言わせてください。

もし、受傷間もなくて、車椅子をこれから作る方がこの記事を読んでくれていたとしたら・・・

今は受け入れなくていい、いいんです。

でも、車椅子を作る時は軽い物を!!!

体に合う範囲で、軽いものをおおおおお

 

なぜなら、現実逃避した夫が作った車椅子は18kg・・・

これは後に本人も、妻も苦しめられるのであった。

(私の住む県では車椅子の購入のための補助は6年に1度申請できる。今年念願の新車購入予定だった)

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