先日、新メンバーとして紹介いただきましたあやちゃんです。
はじめましての方も、ん?Twitterのayaじゃん?という方も改めましてよろしくお願い致しますo┐ペコ
自己紹介
東北の雪国に生まれ、すこぶるやんちゃな幼少期を過ごして育ちました。
小学校低学年で両親が離婚し父子家庭、そして当時はめずらしい一人っ子。周りから可哀想、一人っ子は病気だと言われて育ち、かなり自己肯定感が低かった…(言葉のシャワーって時には恐怖)
わたしみたいな子が増えてはいけないと思い、カウンセラーになる!!と意気込むも、臨床心理士という職業を知らなかったため、カウンセラー=看護師になればできると信じて看護師になる(いや、なる前にどっかで気づくだろ…)。そんなこんなで、ナースとして働き今に至ってます( ˊᵕˋ )
ナースの仕事は大好きで、なってよかったと思ってます。
自己肯定感の低さは、カウンセリング(NLP)とコーチングを学んだら改善された気がします。
23歳で1度結婚し、現在9歳になる息子がいます。
親権は前夫ですが、週末や長期休みは我が家で過ごしてます。
夫とはステップファミリーでした(ここに関しては後ほど書きます)
そしてわたしの人生から欠かせないのが
邦ロック\( ˙꒳˙ \三/ ˙꒳˙)/
後に夫と付き合うきっかけとなったのも音楽を通じて。よく、フェスのタオルをお土産に渡してたっけなぁ〜…
中学からハマり、娘を出産するまではフェスで全国制覇目指して飛び回っておりました。
また行きたいなぁ~( ¨̮ )و✧
10feet、マンウィズ、KenYokoyamaさんを愛してます♡
夫との出会い
夫との出会いはわたしが訪問看護師として働いていた時でした。
夫担当の相談支援専門員より「散在性脳脊髄炎で脊損の男性が自宅退院するため、サービスを開始したいのですが」とステーションに問い合わせがあったのがきっかけ。契約とサービス説明にご自宅にお邪魔させていただいた時にはじめましてでした。
最初の印象…?
最悪でしたねwこちらから話しかけても挨拶なし、返答は「はい」とか「いや」のみ。お義母さんばかりお話してました(後に人見知りと口下手が判明)
訪問担当でもなかったので、しばらくはそれっきり。
ある日担当Nsより
「引きこもりで障害受容できてないんだよね…ギター弾くみたいだし、UVERworldが好きなんだって。ねぇねぇ、あやさん訪問とは別にロックの話でいってみてよ!次の訪問、一緒に来てケアしてる間、音楽の話しててよ!」という振りがあり、再び訪問。内心、えーっ無茶振りだろと思ってた…w
まったく喋らない夫を前に、冷や汗だらっだらで音楽の話をして(もはや必死で何話したかわからない)、後日ギターを教えてもらう約束をしたのでした。
そしてめでたくお付き合い♡
一緒に外に出る練習から始まった私達。
付き合って、結婚して、生活する中で沢山のことを乗り越えてきました。
その1つ1つを、私たち夫婦のパターンとしてブログに残していけたらと思います。
・障害受容までの道のり
・車椅子ユーザーがドックランデビュー(↑写真)
・外出時の自己導尿方法
・結婚式
・手動運転装置付きの車購入、乗り込み
・ステップファミリーの子どもと夫
・自宅警備員から、正社員になるまで
・不妊治療
・車椅子ユーザーの子育て(パパ編)
・バリアフリーハウスへ引越し
おぉ、こんなにある(˙ᵕ˙ )頑張って書き残していきますね。
そして…
2020年は私たち夫婦にとって変化の年でした。
夫は正社員となり、一家の大黒柱となりました。
不妊治療を経て、7月に娘が誕生。
10月には新居のバリアフリーハウスに引越しました。
しかし…
2021/3/14
夫が致死性不整脈で急逝
いつもと変わらない日常の中、会話をしていたら突然倒れてそのまま戻ってきてはくれませんでした。
前触れもなく、突然、私の人生は変わってしまったのです。
これから一緒に子育てをして生きていくはずだった夫を失いました。
家は自分名義で建てたばかり、シングルマザー…悲しみと、不安で全く先が見えませんでした。
時間というのは不思議なもので、
障害や死別の経験は不平等にやってくるのに、
時間だけは生きている限り平等に過ぎていきます。
時にはその時間に癒されたり、急かされたりしながら。
死別して5ヶ月が過ぎようとしています。
まだまだ泣いたり、落ち込んだりしながら1日が過ぎていきます。
そんな中でも少しずつ進み始めた私の死別経験もブログに残していけたらと思います。
夫が生きたかった未来を、娘と共に歩みながら。
夫が生きた証を残しながら…。
これから、Wheelchairfamilyの一員としてよろしくお願いします。
そして、ドン底のわたしに前を向く機会をくれたメンバーに心からありがとう❁⃘*.゚