こんばんは、えりちゃんです。
先日のお話をしましょう。
駅の改札での出来事です。
ホームから改札を出ようとしていた車椅子ユーザーの方とその介助者がいらっしゃいました。
ただ、選んだ改札口が車椅子では通り抜けられない幅になっていたために改札口の前で立ち止まらざるを得ない状態でした。
車椅子で通れる幅のある改札口は、ホームに行こうとする方が次々に通るため、すぐに通れそうもなく行き戸惑っていらっしゃいました。
わたしはホームに入る川の側の人間だったのではやくホーム側へ行き車椅子の方を誘導しなければ!と向かおうとしました。
と思ったら、車椅子の方は立ち上がり、改札を通り、介助者の方は車椅子をたたみ、改札を通られました。
私のでる幕無し。
なにはともあれ無事に通ることができてよかったです。
とはいえ本当に良かったの?
とそのあと悶々としました。
悶々ポイント①
手伝ってほしい、手伝ってほしくない、は別として、車椅子ユーザーと介助者の奮闘は空気と化していたこと。
良くも悪くも?無関心。
近くには駅員さんが数人いましたが特にお手伝いに出ることもなく、(気付いているかも不明ですが)改札を行き来する人々も気に留めることもなく。
通勤時間帯ということもあったかもしれません。
悶々ポイント②
今回の車椅子ユーザーは短距離(改札を抜けるまで)を歩くという選択肢がありました。
とはいえ、環境が車椅子ユーザーに合しているわけではなく、車椅子ユーザーが〝頑張ればできなくはない〟というマンパワーを発揮した上で環境に合しているということに違和感を感じました。
悶々ポイントはあくまで個人的な想いだし、わたしが見えていない部分も多々あるかとおもいます。
かといって、無関心を貫くのもマンパワーに頼った世界も気持ちのいいものではないと思いませんか。
お金も権力もない非力ないち平民ではありますが、少しでも生きやすい世界になることを祈らんばかり、そんな気持ちになった日常のひと場面でした。