ウィルチェアファミリーチャンネル

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あなたならどうする?スーパー銭湯で入湯をお断りされた話。

こんにちは。車椅子ママのみっちゃんです。

 

みなさん、温泉は好きですか?

私も子どもも温泉が好きで、できるだけ色々なところに足を運んでみたいと思っています。

でも、車椅子ユーザーが温泉に行くには、事前に連絡して確認することが不可欠なのだと痛感した出来事があります。

 

今回は、車椅子で行ったスーパー銭湯で、入湯をお断りされたお話です。

拒否をされて、私がどう動いたか?理由も含めて書いてみました。

 

入湯を拒否されるまでの経緯

市内のとある入浴施設、そこは優先駐車場やエレベーター、入り口にはスロープ、屋内に手すりと、かなりバリアフリーが行き届いているスーパー銭湯です。

オープン当初に行ってみたいと思い、家族で出かけたことがありました。その後、娘と一緒に二人だけで楽しんだこともありました。

そのどちらの日も、娘に手助けしてもらいながら楽しむことができていたのです。

 

料金は身障者手帳を持った人の介助者ともに半額になるとあり、料金的にも「身障者が来る」ことを受け入れているように受け取れたので、私は、車椅子を利用していることを先方へ連絡しなくても大丈夫だろうと思っていたのです。

 

しかし、来店3回目。予想しない出来事が起きました。

 

先日、家族5人でその銭湯に出かけた時のこと。

いつもの通り脱衣所で服を脱ぎ、車椅子に乗ったまま浴場の中に入った時のことでした。

従業員に呼び止められ、

「車椅子をおりて入ってください。車椅子のままココヘは入れません」

と言われました。

どこにもそのような注意書きはないし、以前はそのようなこともありませんでした。

私は、以前来たときには問題なく入れたことを伝えました。

聞いていると、どうやらルール云々というより、従業員によって車椅子の方への対応がまちまちのよう。

 

私と娘達は素っ裸のまま立ち話をすることになってしまいました。(私は座ってるけど)

せめて娘達だけでもシャワーを浴びておいでと言えたら良かったのですが、突然だったのですぐに声をかけてあげることもできず。

 

このようなことを言われました。

「入り口で何も言われなかったのか」(手帳を他の従業員に見せて入りましたが、何も言われませんでした)

「歩いて入ることはできないのか」

(歩けないことを伝えると)「施設の入場口で一言言ってくれたら良かったのに」

しばらく話すと、上に確認してくると言って従業員は行ってしまいました。

もしかしたら、ここで私が出ていくのが正解だったのかもしれません。

 

すると、さっきの従業員がやってきて、

「それを付けたまま、入ることはできないんですよ」

そう言って、私のカテーテルのレッグバッグを指さして言いました。(ちなみに中身はトイレで事前に破棄してあります)

 

先程と拒否の理由が違うので、上に何か車椅子であること以外にも見た感じのことを伝えたのでしょう。この時点で正直かなりモヤっとしました。

(さっきと理由が違うけど、上にはレッグバッグとカテーテルが何なのか、正確に伝わっているだろうか?)

「車椅子のまま、こちらに入ることはできない。それ(レッグバッグとカテーテル)を付けて入湯することもできない。お金は返金するので」

 

話し合っていたところ、だんだんと人の目が集まってきていました。

裸な上に従業員に入湯を拒否され、視線を集めるのが恥ずかしくなって、子ども達には「ゆっくり入っておいで」と伝えて、私は脱衣所に引き返すことにしました。

 

入湯拒否された直後、考えたこととは?

「施設側が入湯拒否するのだから、仕方ない」

以前の私なら、モヤモヤした気持ちを抱きながらも、そうやって諦めていました。

でも、もしかしたらこの先、同じ思いをする車椅子ユーザーがいるかもしれない。ここで飲み込んでしまえば、この苦い体験は何の役にも立たないただの無駄な時間になってしまう。

そう思うと、責任者の方とは直接お話をしておきたい。

 

浴場から出て子ども達を待つあいだ、どうやったら、車椅子ユーザーでも入れるように改善してもらえるだろうか?と考えていました。

 

こんなにハード面がバリアフリーで整っているのに、あったら入浴できる器具(シャワーチェア等)がない、従業員の対応が統一されていないことで、設備が活かされないのはもったいない。

 

車椅子での進入が禁止されているのならば、シャワーチェアや施設専用の車椅子に乗り換えればクリアできるのではないか。施設側で備え付けてもらえないか相談してみよう。

カテーテルについては外すほかないが、ないと困る人はどうするのだろう。(このときは後述のオストメイトの入浴についての通達の件は、私は知りませんでした)

 

責任者に提案はしてみたものの・・

脱衣所から出た後、施設の責任者と話すことになりました。

結論から言うと、シャワーチェアを備え付けて欲しいと要望は伝えましたが、思ったような返答はいただけませんでした。

そもそも、シャワーチェアとはどんなものかを知らなかったようで、そこから説明しなければいけなかったし、私の力不足で十分に伝えることもできませんでした。

私一個人の提案は、とても無力でした。

家族全員分の返金はお断りしましたが、最終的には押し負けて受け取りました。

あとから思うと、あんなに必死に返金しようとしていたのは、今回のことは無かったことにして欲しいということなのかな?と思えて、この責任者とのやりとりにもモヤモヤしたし、悲しかったです。

 

 

そもそも、ストーマ装具を装着したまま入ることはできないのか?

その後、公衆浴場法を調べて知りましたが、ストーマ装具を装着している人の入浴を拒否しないよう、厚労省からの通達が存在するようです。強制力はないものの、オストメイトの入浴に対して偏見や差別のないよう書かれたパンフレットです。

ただ、知らないからこそ拒否してしまう雰囲気はまだまだあると思います。

参考までに、こんな記事も見かけました。

www.j-cast.com

後日、保健所にあいだに入ってもらい、上記の通達を把握しているかどうか尋ねたところ、私の装着していたものは形状が違ったからそれとわからず今回は念のためお断りした、との回答でした。

 

車椅子での入浴場への進入が禁止された理由は何だったのか?

なぜ車椅子の進入がだめなのか尋ねたところ、施設責任者によると、他のお客様が引っ掛けては危ないから、とのことでした。

銭湯のホームページを見たところ、注意書きに車椅子での入浴場への進入を禁止している旨は見当たりません。

私が施設側に「車椅子のまま入浴場まで行っても大丈夫ですか?」と確認しない限り、車椅子で入浴場に入ってはいけないというルールがあったと知ることはできなかったのです。

事前に確認しなかった私の下調べ不足だったと反省し、今後銭湯に行く場合は必ず電話確認をすることにしました。

今回の件があったことで、施設側のホームページのQ&Aや注意書きに加筆されることを願います。(数週間経った今も変化はないようですが・・)

 

 

家族はどう思ったのか?

今回の出来事を、私以外の家族がどう思ったかも、気がかりでした。

夫から聞いた話では、障害を理由に断られたのは今回だけではなかったようです。遊園施設でも似たようなことはあり、夫が介助するから大丈夫と言ってもルール上の問題でアトラクションに乗せてもらえなかったことがありました。それがルールなので、それ以上どうすることもできなかったそうです。その時も、夫が介助すれば乗ることは(物理的に)できたと思うし、今回の件も車椅子での利用が不可能ではなかったわけです。

なので、今回のことで家族がショックを受けたとか悲しかったというよりも、「ああ、またか」といった残念な気持ちは多少あったのかもしれません。

断られることが当たり前になって「障害を持つ親の家族はできることが限られる、行けるところが限られる」と、消極的になってほしくはありません。

だから私は、どうすればできるかを考えて欲しいのです。

それは利用する側も、提供する側もどちらにも持ってほしい視点です。

 

車椅子親を持った家族の子どもにも、そうでない家族の子どもと変わりなく楽しむ権利はあるはずです。親の障害が理由ではじかれ、結果的に子どもが出来ないこと諦めることが増えるということは、あってほしくはありません。

 

おわりに

今回の件で、施設側が悪いとか、改善してもらえないと批判をするつもりはありません。施設には施設のルール規定があり、せめて従業員のルールの統一がされればいいとは思いますが、こちらから何かを変えてくれとこれ以上訴えることはしません。利用できないなら行かなくなる、それだけです。

Twitterでもさまざまな意見があり、共感する声もあれば、私とは違う立場の意見もありました。それで良いと思います。

私の出来事に留まらず、これまでもSNSで目にしたことのある、無人駅利用の乗車問題、優先トイレ、優先エレベーターの問題など、議論されてきたことは山ほどあります。他人事として安易に批判するのではなく、議論されることによって興味を持つ人が増えて、自分ごとに置き換えて考える人が増えたなら、多様であることが受け入れられる優しい社会に向かうのではないでしょうか。