こんにちは、えりちゃんです。
1歳児がなかなか寝てくれなくて寝たふりをしてはや1時間。
なんやこれ。
さて、現在の我が家は
パパ→自立支援施設
ママandベビー→ママの実家
と別居状態です。
ベビーが生まれる前に受傷し、入院からの自立支援施設なのでベビーと一緒に住んだことがありません。
会うのは月1、2回です。
まさに単身赴任家庭。
単身赴任家庭のママブログとか読んでたら共感できることも多々あります。
そんな離れて暮らす我が家でベビーとパパがどのように交流しているのかを数回に分けてお話します。
ベビーとパパの交流
《ベビー生後0ヶ月から5ヶ月編》
ベビーがこの世に誕生したとき、パパは病院から病院へ駆けつけてくれました。
(ややこしい。)
当時パパは受傷後1年もたってなくてまだ入院中。
もちろん出産する病院とは別の病院です。
入院中のパパは家族同伴でないと外出許可がおりません。
なのでパパの兄弟が病院にパパを迎えに行き病院まで連れてきてくれました。
片道2時間弱。神か。
パパは尿路感染からの耐性菌ができており、耐性菌の種類によってはベビーをさわってはいけないと言われたのですが無事面会。
恐るべし耐性菌。
退院後、ママとベビーはママの実家へ。
ベビーは和室で転がっているので車椅子では入れず、当時は車椅子から降りて座椅子に座ってもらいました。
足を奪われた脊損。
いつも思うんやけど、車椅子はハイスタイル、ベビーはロースタイルやから調整難しいよな。
この時もパパは入院中で、まだ家族同伴の外出が必須でした。
なので出産時同様、パパの兄弟が病院と実家間の送迎をしてくれました。
そしてパパをお姫様抱っこで車椅子から床におろしてくれました。
一度床に降りるとパパの兄弟がお迎えに来てくれる時間まで、パパは床での生活。
(床トラという技は持ち合わせておりません。)
当時は体幹もブレブレだったので座椅子にもうまく座れず、クッションで身体を固定しました。
かかとやお尻にもクッションをしいて褥瘡ができないようにしました。
ときおり除圧で足を持ち上げたり右に倒れたり左に倒れたり、お手伝いしてたなー。
どうやって遊んでたんやろう。って考えたんやけど、ベビーは寝てるかミルク飲んでるかやからまだこの時は遊んだというより同じ空間にいる。というだけでたまに音なるもんをふってみるくらいやったように思います。
そもそも新生児とかそんなもんやでな。
我が家は混合やったんでパパが来たときはミルクにしてパパにミルクをあげてもらい交流をはかってました。
とはいえパパが哺乳瓶でミルクをのませるにひとりでミルクつくって抱きかかえて飲ませてゲップさせて…はできないのでね。
わたしがミルクをつくり、パパに授乳クッションを巻き付け、それだけではベビーの頭が低いので腕のしたにクッションをらさらにはさみ、ベビーを乗せ、哺乳瓶をパパの手に添え、ベビーのくちへ。とセッティングが必要でした。
ベビーはもぞもぞするしパパの体幹はブレるしなかなか一筋縄ではいかんかったけどな。
まだまだ3時間おきに寝て起きてを繰り返すベビー。
授乳以外の時は夢の中にいます。
そんなときパパは座位のままひたすら息を潜めました。
車椅子のってないからどこにも行かれへんしな。
一回パパも一緒に寝ようと横に倒れてみたことあったけど、介助方法わからんから座位に戻すのめっちゃ大変やったわ。
パパは慣れない身体に慣れない外出、そして足(車椅子)を奪われて動けない状態。
ママは初めての育児で眠たいしガルガル期やし、介助もどうしていいかわからん状態。
妊娠中は悪阻で入院してたり切迫早産で安静にせなあかんかったりで介助どころか生きるのに必死やったんでね。
お互いすべてが初心者やから手探りやし神経使うし毎回けっこうな疲労感でした。
パパもお疲れが出るのか病院戻ってから熱を出すこともたまにありました。
ゲップさせてみようの図。
ありがたいことにパパの兄弟が送迎をかってでてくれたり、実家の父母も介助やベビーの寝かしつけを手伝ってくれたので成り立ちましたが、お手伝いなしでは実現しなかったと思います。
たくさんの人の助けがあって成り立っていたパパとベビーの交流。
恵まれてるなあ。と今思いました。
(おそ。)
さらっと書くつもりが長くなったので一度ここで終わりにします。
次はまたそのうち書きます。
(そう言ってべべポケットの記事をなかなか更新しなかった常習犯。)
おやすみなさい。
☆☆☆
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