ウィルチェアファミリーチャンネル

当ブログにご訪問ありがとうございます! 【wheelchair family channel 】ウィルチェアファミリーチャンネルです。 車椅子ユーザーでも臆せずパパママになれる社会にむけての情報をメインに発信しております。当たり前ですが、車椅子ユーザーでも家庭を持って子育てができます。 少しの工夫をみんなで共有して大きな愛のある生活を手に入れませんか?

車椅子パパと卒園式

我が家の息子も5年間通った保育園を無事に卒園することができました。

ご近所さんのアドバイスに従い、バスタオル持参で…なんてことはなかったけど

さよならは寂しいですね。

 

そんな息子の卒園式、私が細心の注意を払ったのは

旦那に近づきすぎないことです(何

 

喧嘩でもした?仲悪い?夫婦やと思われるのが嫌?

ちゃいますねん。

 

近づきすぎると危険なの…汗

 

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卒入園・卒入学の季節、車椅子パパのパートナーの皆さんの悩みはきっとこれなんじゃないでしょうか?

 

車椅子でパンスト破れる問題!!!

 

へ?って思ったあなた!車椅子初心者ですね?!

 

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車椅子ってびっくりするぐらいマジックテープでできてるんです。

座面、背中、背ポケット、フレームカバーにレッグレストまで全部マジックープ。

(みっちゃんがベルクロって言ってたけどおばちゃんはマジックテープと呼んでますw)

 

何度やらかしたことでしょう。

車椅子を積むのを手伝った瞬間にパンストがビリっ

段差を押そうとした瞬間にタイツがビリっ

後部座席(車椅子の隣)に座っただけで買ったばかりのニットが…泣

 

特にパンストをはくような冠婚葬祭や卒入園・卒入学などのセレモニーはほんと要注意です。

 

一瞬でやられるから(白目)

みなさん対策とかされてますか?

 

パンツスーツやワイドパンツにすればいいんだろうか…。

それはそれでタイヤ痕がついたりと色々ありそうな気もする。

 

バリアフリーじゃない場所だと介助もありますしね。

ヒールも履きづらいですしね。

 

車椅子パパのパートナーのセレモニーファッションの最適解とは…?

 

みなさんは車椅子パパと一緒に行く卒入園・卒入学式、意識していることはありますか?

おすすめスタイルがあれば教えてください!

車椅子のママを、子ども達はどう思っているの?

こんにちは。車椅子ママのみっちゃんです。 f:id:WheelchairFamily:20200423084459p:plain

3月は卒業の季節。

長女の1つ上の上級生の卒業写真を見るだけでぐっと来てしまうのに、

一年後の私はどうなってしまうんでしょうね?

また、俄然ズボン派の長女は卒業式に何を着るつもりかと

今から気にしています。 

 

 さて。

子どもは自分の周りの環境、学校や家庭、

その他のコミュニティから学んだり、

自分なりに気付きを得ていくことが自然だと思います。

また、学校で教わることよりも、

人との関わり合いや体験から得ることのほうが、

その子の後の人生に大きく関わってくる、とも感じています。 

 

では、親が車椅子であることは、子どもにとって何がどのように影響するのでしょうか。

 

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これはあくまで私の経験談なので、

生まれた頃から親は車椅子に乗っているケース。

 

 小さいながらも何か察してくれているな

感じることは多々ありました。 

 

子どもが幼児の頃は、

活発な子でも私とふたりの時は

あまりあちこち走っていかずそばにいることが多かったり、

膝の上に乗るのが好きでした。

少し大きくなると車椅子を押すマネをしてみたり

実際に押すようになってくれたりと、

そういった動作を自然とするようになりました。 

 

そして、私もわからないことが多いのが、精神面での影響です。

 親が車椅子であることによって、

何かを我慢したり、

諦めたりするようなマイナス面の影響がやはりあるのでしょうか。

 

 「ママは車椅子だから○○ができないでしょ」

こういった言葉を言われなかったわけではありませんが、

それによって、自分たちがこんなハンデを負っているんだ、

こんなデメリットを被っているんだ、ということまで、

子供達は話してくることはほぼありません。 

だから、何か言えずにいるのではないだろうか。

言ってくれたらいいけれど言いにくいこともあるだろうか。

と、心の隅では考えています。  

 

 「車椅子のママをどう思う?」と尋ねたら… 

 

ありがたいことに、

うちの長女次女はママが車椅子であることについては

別段気にしていない様子です。

(まだ小学生なので、これから変わり得るとは思いますが)

 

 3歳の長男は、

「○○ちゃんのママは車椅子じゃない」

と先日発見したようで、

「ママが車椅子と、歩いているのと、どっちがいい?」

と聞いてみたところ、車椅子なんだそうです。

選択できないことを尋ねてしまいましたが

へえ、いいんだ。と不思議な気持ちでした。  

 

メリットデメリットではあまり考えていないと感じるし、

そもそも深く考えていないような気もするし(笑)、

長女は長女でこんなふうに作文の題材くらいには想ってくれているようだし、

自然と受け入れられているんだな〜と感じています。 f:id:WheelchairFamily:20210326154434j:plain 

こういう視点を持ってくれることは素直に嬉しいです。

長女に、「車椅子のママをどう思う?」と尋ねたら、

「お手伝いは多いけれど」だって。けれど・・・なんだ!?笑 

 

よくかけられる言葉について思うこと

 

 私たち家族は、ママが車椅子であることが自然体で普通のこと。

 でも周りの認識は違っていることが多いです。

 知らない周りの大人がかけてくださる言葉の中には

私にとっては少し気になる言葉もあります。 

 

「お母さんを助けてあげてね」

「(そばにいるだけで)えらい子ね」

 

これって私が車椅子じゃなかったら言われてないかも、

と思うような言葉をかけられることは珍しいことではないです。

 

 どうしろ、こうしろと言われているわけではないので

子どもにとって悪影響があるとは思いませんが、

そういう声がけによって

 

「私が助けてあげなきゃいけないんだ」

「えらい子になろう」

なんて気負ってほしくないなと思うだけです。

 

 人によって違う「こうあるべきだ」「こうすべきだ」みたいな固定観念が、

私も含め誰もが少なからずあるはずです。 

 

そういった大人の考えをむやみに押しつけず見守りたいし、

周りにも見守ってほしいと思っています。

 

 とはいえ、

「なんでこんなとこにモノを置くのー!」

「保護者会は晴れたらいくし雨ならいかない」

「そのイベントには参加しかねる」

などと車椅子ゆえの困りごとやわがままを

私が子ども達に言ってしまうのも事実。

 

 まるで、「察して」みたいな物言いをして

理解を求めてしまうことがあるのは大いに反省です。

それこそ、何かを我慢しているかもしれないのに。

 

 私も親として子どもに育ててもらっている身。

親育ち真っ最中です。  

 

さいごにとっておきのエピソードを

 

子どもは3歳にして、

他者に貢献したいという気持ちがあるんです。 

 

長女と長男はそろって同じ年頃のときに、

「ママを守ってあげるね」と言いました。

本人達は大きくなったら覚えていないかもしれません。 

 

その「守ってあげたい」と思う気持ちは

私がどうであれ関係なくその子に芽生えた気持ちなので

その優しい心を、私こそ守ってあげたいなと思ったのでした。 

 

ちなみに、

長女のときはバァバがそれを聞いていてえらく沁みたようで、

いまでもその話をしてくれます。 

長男は、エレベーターの中でさらっと言ってくれたので

再現を所望しましたが、恥ずかしがって言ってくれませんでした。笑

藁にもすがる思いのありがた迷惑

 

 

ありがた迷惑。

きっと脊損受傷後のわたしの行動の代名詞だと思う。

 

こんばんは、毎度お馴染みえりちゃんです。

 

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これは脊損した彼にとって必要なこと。

そう思って、求められてもいないのに行動し続ける、自己満足の世界。

 

配偶者が脊髄損傷をした後のことを今振り返れば、そう感じます。

でも、当時は必死だったんです!!

 

 

 

細長いものをつかむ動作はリハビリになるよ。

ポッキーとか。

 

毎日泣いているわたしがそんな話を聞いたらどうすると思います?

 

 

買いあさるに決まってる。

 

 

それからの差し入れといえば、ポッキー、トッポ、じゃがりこプリッツ

 

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飽きないように味を変えながらも細長いお菓子を差し入れしまくりました。

 

袋を自分で開けることはできないから、開封してティッシュの上に置いたり、箱に突き刺したり。

 

 

全然とられへん!と言いながら黙々と付き合ってくれたけど、今思えばウザい差し入れやったやろな。

 

 

 

褥瘡ができたある日には

 

褥瘡にはメイバランスがいいよ。

 

というひと言でわたしはまたメイバランスを買い求めるお決まりの行動。

 

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病室にはメイバランスがあふれかえる。

しかも旦那さんの口に合わないという結果にもかかわらず、果敢にいろんな味のメイバランスを差し入れるわたし。

 

ごめんやったで。

でも、良薬は口に苦し、やん。

 

 

 

藁にもすがる気持ちとは恐ろしくもある。

脊髄に効く浄水器、とかがあれば買っていたかもしれない。

浄水した水を飲ませ、浴びせてたかもしれない。

 

 

ぜひ今現在配偶者の受傷により暗闇にいてる方は、ほんのすこーし、差し入れるものを見直してみてほしい。

わたしの過去を教訓に、押しつけていないか立ち止まって考えてみてほしい。

わたしみたいなののほうが少ないかも知れないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

音生さんと岡亜さん

 

 

我が家は妊娠中から別居しています。

正確には旦那さんが脊髄損傷で入院&自立支援施設に入所し続けています。

 

 

こんばんは、えりちゃんです。

 

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えりちゃんちは子どもが生まれてから家族ひとつ屋根の下で暮らしたことがありません。

一泊二日のちょっといい旅、は2度行ったことがありますが川の字で寝たはその2回のみ。

 

コロナもあって、最近は会えるのは月1回。

少し前は3ヶ月間会えなかったり。

 

時々テレビ電話はするものの、やはり触れ合うことは訳が違う。

 

 

そんなパパと子どもの関係は、今はちょっと仲いいおっちゃんと親戚の子に近いと思う。

 

 

 

 

昔りぼんで流行った赤ずきんちゃちゃをご存知ですか?

 

一世を風靡下した、かの有名なマジカルプリンセスホーリーアップ。

 

赤ずきんちゃちゃの単行本のエピソードなんですけどね。

 

りーやのお父さんお母さんは早くに亡くなってて(実際は生きてた)、毎年お墓参り行ってるんやけど、りーやは『音生(おとう)さん』と『岡亜(おかあ)さん』ていう知らない人のお墓参りに行ってると思ってた。

っていう回があるんです。

 

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まさに今子どもはそんな感じなんじゃないかな、と思ってます。

 

波羽(パパ)ていう、知ってる人。

 

2歳児に確認したわけではないから、あくまで想像やけど。

パパにとってはなかなか厳しい現実で、子どもとの関係を深めるにはこれから長い時間が必要。

 

名前の知ってる人→なんか頼りになる人→あれ?身内?→(親愛なる)パパ!

 

子育てを語るわけではないけど、パパはあなたにとって味方で、困っていると助けてあげられる存在。であることを今から感じさせていかないといけないんではないかなと思ってます。

 

 

念のためにはっておきますが、コロナ前はそれなりに交流ありましたのでよろしく見守りください。

この辺の記事。

ベビーとパパの交流《生後0ヶ月から5ヶ月》 - ウィルチェアファミリーチャンネル

 

ベビーとパパの交流《生後6ヶ月から1歳2ヶ月》 - ウィルチェアファミリーチャンネル

 

ベビーとパパの交流《1歳3ヶ月から今後》 - ウィルチェアファミリーチャンネル

 

 

筋道って難しいけど、我が家は家族と離れて自立生活訓練施設にはいって生活自立度を上げる。という選択肢を選んだことになります。

 

仮に、パパが施設入所をせず子どもとの生活を選び、自立しきれていない状態で産前もしくは産後すぐに退院してきてたらどうなっていたやろう。

 

一緒に住むことによって、子どもとの距離はたしかに今よりもぐっと、近くなっていると思う。

親愛なるパパ、かはわからんけど、少なくとも波羽(パパ)ではないと思う。

 

でも、まだその当時のパパはトイレもお風呂も自立してなかったし、体調も不安定やった。

ヘルパーさんをお願いすれば、生活できる可能性はある。

 

けど、それは自立とは程遠い。

 

そして、0歳児がいてるなかヘルパーさんが出入りしたり、パパや0歳の体調不良が起きたり、2人分の排泄処理や介助を、わたしが産後の不安定な心身で行うとしたら。

 

わたし家出するかもせん。

 

もちろんうまくこなす方もいらっしゃるだろうけど、少なくともわたしにはそのキャパはない。

新生児1人の面倒でさえうまくみれず、泣きながら抱っこしていたくらいだ。

 

 

 

パパ子の関係はまだまだ新興国で成長過程だけど、自立支援施設で訓練を行うことによって、パパは自立動作をたくさん身につけた。

ありがたいことに、脊髄損傷に精通している病院に転院でき、リハビリを受けることができた。

理解しあえる仲間もでき、自分でできることが格段に増え、見違えた。

トイレもお風呂も、環境さえ整っていれば自分でできるし、なにより自信を持てるようにもなった。

 

将来的に自分のためには、大いになる。

 

 

くらべるものがタラレバの話なので、結果どの形が家族にとって最善なのかはわからないけど、少なくとも同じ状況の方は差し出される選択肢に毎回悩みながら選び抜いているはず。

 

周りを巻き込みながら、いろんな選択肢の中で道筋を立てていけるように、そんな世の中になればいい。

 

 

外食といえばかっぱ寿司

 

外食しよう!

となったとき、なにを判断材料にお店を選びますか?

 

こんばんは、えりちゃんです。

 

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あくまで今現在の我が家での場合ですが、外食をふるとき3つの思案するべきポイントがあります。

※今現在→c6の四肢麻痺車椅子ユーザーの旦那様、2歳の男児、鼻炎の私

 

 

子連れで入ることのできる飲食店か否か。

まずこの選択肢によって居酒屋などが却下される。

今はまだ串家物語も油とかハラハラさせる要因なので却下。

 

出来るだけ安心安全、多少子どもがガチャガチャしていても許される場所を望みます。

子ども用の椅子とか食器とか揃っていたらポイント高し。

ファミレス最強説。

まだハイハイやった時代はできれば座敷が望ましかったけど、次の項目によってその選択肢は消されていました。

(2歳になった今は座敷でなくても大丈夫。)

 

車椅子で入ることのできる飲食店か否か。

車椅子で座敷は入れないのでテーブルであることが必須。

テーブルの下に車椅子+足をいれないといけないので、椅子が固定されているタイプや低め高めのテーブル、脚が邪魔になるテーブルも除外される。

たまにあるねん、無事席につけたと思ったらテーブルの脚が異様な位置にあって車椅子を邪魔してくるやつ。

どうあがいても机の下に足を収めることができず、結局テーブルから遠い位置でご飯食べる…みたいなことが起きます。

 

 

もちろん、店の前に段差があったり通路が狭いお店は門前払い。

ある一定の規模の飲食店になるとバリアフリー法が適応されるけど、個人経営や小規模の店舗だとなかなか段差が多い、イメージ。

 

最後に、比較的介助が少なくて済む飲食店か否か。

たとえば、焼肉やしゃぶしゃぶ等の参加型。

焼いたりしゃぶしゃぶするのはわたししかいない。

たとえば、バイキングの自由型。

近くに店員さんがいれば旦那さんのお手伝いをしてくれることもあるけど、基本的にわたしが何往復する必要がある。

 

 

 

ひとつめは子どもさんのためね、なるほど。

ふたつめは車椅子ユーザーならではのハード面な要因ね、なるほど。

みっつめ、お前がダラけたいだけなんちゃうか。と思った人。

よく考えてほしい。

 

わたしだって人間だ。欲にまみれている。

出家をして欲を捨て、慈悲深く生きている。わけがない。

わたしが食べられなくても、みんなの笑顔がみれて、みんなのお腹がいっぱいになればわたしもしあわせ。なわけもない。

 

わたしだってお腹は空くし、三大欲求のひとつ、食欲が満たされないとイライラする。

ご飯を口にせず2人の介助に徹したとして、お腹いっぱいになったら子どもは動き出す。

その子どもを追いかけるのは、わたしだ。

やってられない、と愚痴のひとつやふたつ、旦那さんにぶつけたくもなる。

雰囲気が悪くなる。旦那さんも自己嫌悪に陥る可能性がある。それではいけない。

母親の心の余裕は家庭平和につながる。とかなんとか誰かが言っていたような。

 

なのでそういう、プラスアルファの動作が必要なところは、わたし以外にも動ける人がいてる時に行くことが世界を救う。

わざわざ3人で行くべきところではない。

 

 

あとはその時々の状況です。

主に車の乗り降り回数を減らすために家から距離の近い場所や、目的地周辺で探すことが多い。

我が家の車は移乗介助必須、旦那さんの手首への負担も大きいので頻度は少ない方がいいに決まってる。

 

 

そんないろんな難題をクリアしてくれる飲食店が、泣く子も黙るかっぱ寿司

 

・家から近い

・子どものお皿や椅子がある

・子どもが多少騒いでも気にならない程よいザワザワ感

・椅子の外れるテーブルがある

・椅子が外れないテーブル席でも、お誕生日席に座ることができる

(テーブルの下に足を収めることができる)

・各自注文可能

・レーンからとることや醤油をかけることはわたしが請け負うがそこまで負担にならない

・お魚っておいしい

・うどんや茶碗蒸し、たまごのお寿司など子どもも食べられる

・比較的子どもが自分で食べやすい

・(私たちがよく行くから?)店員さんが慣れている

 

かっぱ寿司さん、本当にいつもありがとうございます。

ホールの方はいつも優しく迎えてくれ、お見送りをしてくださいます。

これからも、よろしく見守りください。

 

よくお世話になるかっぱ寿司に焦点をあてたけど、大手のお寿司屋さん全般的に優秀な気がする。

最近は魚べいも好き。

 

 

そういえば、ふっとのりちゃんの記事を思い出した。

車椅子パパ家庭の外食どうしよう問題!のりちゃんち編 - ウィルチェアファミリーチャンネル

 

今再度読み直してみたら彼女もかっぱ寿司推しだった。

車椅子ユーザー2分の2がかっぱ寿司推しなら100分の100がかっぱ寿司推しじゃないだろうか(ちがう)。

 

 

ただ、好条件なあまり外食時はお寿司ばかり食べているので子どもがマグロというのはお寿司の形と思っているのが難点。

 

この前テレビで海を泳ぐマグロが映ったので、『あっ、まぐろだよ!』と子どもに伝えたところ、『ちがう、まぐろじゃない!』と全否定されました。

 

食育って難しい。

 

最近はテイクアウトも増えてきて、普段ハード面で行くことの出来なかった味をお家に持って帰ってこれるようになりました。

これはお店にはいることができなかった車椅子ユーザーにとって選択肢の増える革命的なことだと思っています。

 

行けるお店、ではなく、行きたいお店、にみんなが行けるような世界になりますように。

 

 

脊髄を損傷する日の朝、第六感が働いた

 

あなたは第六感を信じますか?

 

第六感とは、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感以外の理屈では説明し難い感知能力のことです。

 

引用:Wikipedia

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%25E7%25AC%25AC%25E5%2585%25AD%25E6%2584%259F

 

急にスピリチュアルなこと言い出して、やばいんちゃうかこのブログ、と思った人、安心してください。

美輪明宏さんでもなんでもない、ただのえりちゃんです。

おまえにサンが救えるか!

 

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受傷した方、またはそのご家族の方、受傷した日を覚えているでしょうか。

 

わたしは鮮明とは言えませんが、その日のことをよく覚えています。

正確には、受傷するまでのこと、です。

 

受傷したと連絡を受け病院に駆けつけてからは記憶が薄い。

心が耐えきらない出来事、ショックな出来事は思い出せない、選択的健忘かもしれない。

これもまたひとつ、心を守る身体の仕組みなので自分で自分を守る素晴らしい防衛をしていると思う。

 

話は脱線しましたが、それは受傷する日の朝のことでした。

ほんまに何気ない朝でした。

土曜日で、わたしは仕事がお休み。

旦那様だけ出勤でいつものように朝の用意をしながら、洗濯をしながら、ご飯を食べながら。

 

ただ、なぜかこの日は

 

こういう何気ない日常をちゃんと覚えておかなあかんな。

 

と思ったんです。

胸騒ぎとかそういんのんじゃないけど、【長く続くわけではない日々】をどこかで感じ取っていたような。

毎日してるお見送りのときも、

 

当たり前の毎日やけど、行動を流さず意識して送り出そう。

 

と何故か流れ作業ではなくひとつひとつの行動を意識的に行いました。

 

ネコは死期を悟るといいますが、人間にもそんな感覚はあるのでしょうか。

いや、事故を悟ってるわけでも感じ取ってるわけでもないんですけど。

実際受傷を避けきれずその場に留まらずこともできずお見送りして、脊髄損傷になったんで。

 

あのときのお見送りをあと1秒減らしてたら。増やしてたら。という後悔はすごくすごく深くあります。

 

タラレバをあげたらキリがない。

 

ただ、現実に残ったものとして、受傷前の送り出す朝はキレイに心に刻まれています。

受傷していろんなものを失ったけど、また、あの平凡な朝を送れるようにバラバラになったかけらを合わせていきたい。

生きるひとつの糧になってるのかも。

 

こんな経験をしてる人って他にもいてるかな?

みんなモロの君かな?

 

今まで占いを信じていない人でしたが、これからはツボを買ってみようかなと思ったあの日のことでした。

 

 

 

結婚後受傷〜配偶者の想い〜

 

書いた後にずっと、世に出すか悩み続けてはや1年がたってしまったブログを、思いついた勢いで投稿します。

 

どうもえりちゃんです。

個人的な意見を少し攻めた感じで書いていますが、流し読みしていただけたら小躍りでステップ踏みます。るんたった。

 

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さて、今日は結婚後受傷に対する配偶者側の想いです。

あくまで個人的な意見ですので考え方のひとつとして受け止めてください。

 

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脊損配偶者はどうやって障害や車椅子の扱い方について勉強してるん?

 

これは配偶者が受傷して間もない頃感じたことでした。
受傷者本人は病院で治療、PT、OTを受け身体の扱い方を覚えていきます。

入院先で同じような症状の方と意見交換もできるかもしれません。

(さんちゃんみたいに当時は気力なくしてただ生きてるだけでしたって人ももちろんいてるやろけど)

 

じゃあ、わたしは?配偶者側は?
介護職でも病院関係でもなんでもない普通のOLが急に車椅子ユーザーの配偶者となり、いろいろなことがふっかかってくるなか何ひとつ知識がないわけやん。

病院と家との往復で、同じ環境にいる人と話す機会ってほんまになくて(少なくともわたしは)なんとなく友達にも言えなくて、ひたすらグッと耐えるしかなかった記憶があります。

 


それでも車椅子を押したり、褥瘡ができへんように体位を変えてみたり、移乗介助をしたり、事務面もしかり、やらないといけないことは目白押し。

 

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いやほら、どうしていいかなにしていいかわからんし。なんてのは通用せず、やって当たり前、できて当たり前という烙印がいつの間にかついてしまうんです。

これはほんまに恐怖。


こちらかて初心者やで。
初心者マークつけとこか?

 

車椅子を押す事にも慣れてないから、段差に突っ込んでしまうこともあれば急な坂道を前から勇んでいこうとすることもある。

 

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キャスター上げって言葉とか知らんやん!

坂道は後ろ向きとか知らんやん!!

 

もちろんできへんからやりませんではなく、個人的に勉強したり聞いてまわったりで経験積んでいくんですけどね。

 


子供を産んだら【完璧な母】を世間が求めるように、相方が受傷したら【完璧な介助者】を世間が求めてるように感じます。

 

場合によっては一番の味方であってほしい受傷者本人の配偶者でさえ。

(わたしの旦那さんを指してるわけではなくいろんな方の話を聞いた感想です。)

わたしたちはPTでもOTでも医師でもなくただのあなたの配偶者やからな。

 

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技能的な面もしかり、精神的な面もみんなどうやって克服してるん?
これも途方にくれてました。
なんならいまもやわ。


子育てみたいに、成長するこどもとともに学び対応して親になっていくんじゃなくていきなり今日から脊損の配偶者な!介助者な!みたいなテンションになるわけやからな。
心も体もついていくわけないやん。


やのに周りは必然的にこちらに受傷者の支えとなる立場を求めてくる。


忘れもせーへんわ泣き崩れてるわたしに向かって義母が『一生支えたってな。』ってゆうてた言葉。
もちろん悪気があるわけではないのはわかってるんです。


それでも今もなお、そのひと言がわたしにつきまとってきます。
ぜひ周りに脊損の配偶者がいてるのであれば、肩の荷をおろして足も崩してゆっくりお紅茶とスコーンでも。と伝えてあげてください。

 

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(いやこれサイダーやん。)


朝元気に見送った相方が病院で死にかけてるところをみた人に誰かを支える心の余裕があると思います?

 


もちろんこれも投げ出すわけにはいかんから向き合うけどな。

 

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ほんでもちろん受傷直後でなく、その後も支える側問題はちょくちょく顔を出してきます。
ハロー。


でもほんまはどっちかが支える側とか支えてもらう側とかじゃないはずなんです。

 

両方新米なわけやん。

新米脊損に新米脊損配偶者。


どっちかがしんどかったらすこーしでも余裕のあるほうがフォローしたらいいと思うねん。

身体能力、家事能力の違いはあっても、お互いに自分ができることに向き合い、助け合っていくのが夫婦ですよね。

 

受傷者本人は悲しみに暮れるなとかはよ立ち直れとかではなく、ただ、深い悲しみを抱いているのは新米脊損配偶者側も一緒なわけでそこはぜひわかっていてほしいです。

 

どっちもそれぞれ違う形で大変なわけで、種類の違う悲しみや絶望感をくらべても並行線のままですよね。


まわりのかたもぜひそれぞれの家族の形を受け入れて障害者家族の理想像を解き放ってほしいと思います。

 
なんかよくわからん流れになったけど、行き場のない思いをしてる脊損当事者の方も脊損配偶者の方も、ぜひここで悲しみや嘆きを言ってみんなで共有できたらいうオープンチャットの宣伝でした。


(よくあるよなこういう手口のCM。健康番組かと思ってみてたら実は青汁の宣伝でした。みたいなやつ。)

  

wheelchairfamily.hatenablog.com

 

 


結婚後受傷は家族みんなの生活が一変します。


それを乗り越えていくには負担がどちらかに偏っていてはいずれ崩壊すると思います。

 


2人で乗り越えられないなら親戚を巻き込むのもひとつ、ヘルパーさんを頼むのもひとつわたしたちに話を聞いてくれと嘆いてくださるのもひとつ。
ぜひお互いの人権を尊重できる素晴らしい家庭をみんなで築いていきましょう。

  

(わたしが旦那さんに多大なる不満があるような書き方なったけど、そんなことないですので悪しからず。あくまでいろんな家庭の話をきいた個人的な意見を含んでます。)