あなたは第六感を信じますか?
第六感とは、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感以外の理屈では説明し難い感知能力のことです。
引用:Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%25E7%25AC%25AC%25E5%2585%25AD%25E6%2584%259F
急にスピリチュアルなこと言い出して、やばいんちゃうかこのブログ、と思った人、安心してください。
美輪明宏さんでもなんでもない、ただのえりちゃんです。
おまえにサンが救えるか!
受傷した方、またはそのご家族の方、受傷した日を覚えているでしょうか。
わたしは鮮明とは言えませんが、その日のことをよく覚えています。
正確には、受傷するまでのこと、です。
受傷したと連絡を受け病院に駆けつけてからは記憶が薄い。
心が耐えきらない出来事、ショックな出来事は思い出せない、選択的健忘かもしれない。
これもまたひとつ、心を守る身体の仕組みなので自分で自分を守る素晴らしい防衛をしていると思う。
話は脱線しましたが、それは受傷する日の朝のことでした。
ほんまに何気ない朝でした。
土曜日で、わたしは仕事がお休み。
旦那様だけ出勤でいつものように朝の用意をしながら、洗濯をしながら、ご飯を食べながら。
ただ、なぜかこの日は
こういう何気ない日常をちゃんと覚えておかなあかんな。
と思ったんです。
胸騒ぎとかそういんのんじゃないけど、【長く続くわけではない日々】をどこかで感じ取っていたような。
毎日してるお見送りのときも、
当たり前の毎日やけど、行動を流さず意識して送り出そう。
と何故か流れ作業ではなくひとつひとつの行動を意識的に行いました。
ネコは死期を悟るといいますが、人間にもそんな感覚はあるのでしょうか。
いや、事故を悟ってるわけでも感じ取ってるわけでもないんですけど。
実際受傷を避けきれずその場に留まらずこともできずお見送りして、脊髄損傷になったんで。
あのときのお見送りをあと1秒減らしてたら。増やしてたら。という後悔はすごくすごく深くあります。
タラレバをあげたらキリがない。
ただ、現実に残ったものとして、受傷前の送り出す朝はキレイに心に刻まれています。
受傷していろんなものを失ったけど、また、あの平凡な朝を送れるようにバラバラになったかけらを合わせていきたい。
生きるひとつの糧になってるのかも。
こんな経験をしてる人って他にもいてるかな?
みんなモロの君かな?
今まで占いを信じていない人でしたが、これからはツボを買ってみようかなと思ったあの日のことでした。