ウィルチェアファミリーチャンネル

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死は突然に…致死性不整脈

秋の夜長と言いますが、最近はなかなか寝付けず・・・

ぼんやりと夫を思い出しながら涙する日々が続いているayaちゃんです。

9月8日に笑ってこらえて結婚式の旅に出演していた、遠藤のどかさんが亡くなりました。

大腸がんステージⅣ発覚から3年でした。

愛する遠藤さんと結婚し、子どもを授かり(娘と同い年で1歳)、素敵な人生を駆け抜けたと思います。

当時の結婚式の放送を夫と共に泣きながら見ていたので、かなり衝撃でした。

 

 

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夫が急逝したのは2021年3月14日。

ちょうど今月で半年になりました。

今まで夫が急死した日の事は、心のどこかで蓋をして日々過ごしていました。

でも、最愛の夫と過ごした最後の日。

人の記憶は時間と共に曖昧になってしまう。今のうちに文章に残したいと思います。

普段看取りをさせていただく立場にあっても、なぜかそれは自分の大切な人や自分とは程遠い事のように感じていました。

生きてる限り、いつでも生と死は隣り合わせなのに。

 

会話中の呼び方を

夫=パパ

息子=お兄ちゃん

娘=なっちゃん で書いていきます。

 

いつもの日常が一転・・・

2021年3月13日(土)

この日は夫の仕事が休みで(私は娘が生後7ヵ月で育休中)、家族4人で昼はマックを食べ、だらだらと過ごしていた。

その時に夫が撮影してくれた私と子ども達の写真。この写真は夫が撮ってくれた最後の写真となった。

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夕方になり、夫が「さあ風呂リレーして晩飯食うぞ!」と言った。我が家では、17時半に夫が導尿timeに入るので、その間に私と子どもが入浴し、トイレが終わった夫とお風呂を交代するという流れだった。

その時、娘が息子の飛行機ポーズを真似していて、みんなで笑っている最中だった。これは写真にも動画にも残っているが、夫の笑い声が入っている動画を今でも見ることが出来ずにいる。

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いつも通り子どもと3人でお風呂に入り、息子が最初に上がって居間に居た夫のスマホでゲームを始めた。

私は、娘の着替えを済ませて、夫に「パパー、お風呂いいよー!」と声を掛けた。この時、一瞬ぞわっと胸騒ぎがした。

髪を乾かしていると、夫が脱衣室に移動してきたので、心の中でほっとした。

夫が髪を乾かしている私に向かって「ちょっと、お兄ちゃんが俺の携帯使ってたんだけどさ~・・・」と話し始めた。しかし、その先を話さないので鏡越しに夫を見ると、車椅子の背もたれにのけ反って脱力していた。低血糖?低血圧?と思った。

急いで夫に駆け寄って声を掛ける。

「パパ!パパ!!聞こえる?ちょっと!!!」

この時、右腕は内転し硬直、口唇チアノーゼ、舌根沈下していた。

あ・・・呼吸停止してる、やばいと一瞬で感じた。

私は息子に「お兄ちゃん、ママの携帯持ってきて。パパが倒れた。なっちゃんの事危なくないように見てて」と叫んだ。

息子は携帯を持ってすっ飛んで来た。

すぐさま119番通報し、状況を説明する。緊張から喉が一瞬で乾いて話にくかった。

救急隊に「到着まで心肺蘇生を続けて下さい。保険証の準備お願いします」と言われるも、大人は私一人。保険証なんて出してる余裕あるか!!!と思った。

そのまま急いで義母へ電話し、「パパが呼吸止まって倒れた。救急車に一緒に乗ってって欲しいからすぐ来て欲しい」とだけ伝えて電話を切る。

脱衣室が狭かったため急いで寝室へ移動し、夫を車椅子から床に移そうとした。しかし、全身脱力した成人男性を車椅子から降ろすのは一苦労。息子に手伝ってもらおうと声を掛けるも、脱衣所の入口で首を横に振る。

怖いよね…、ごめんね…と思った。近所に手を借りようかとも思ったが両隣はご高齢・・・。

心停止から1分経過する毎に、救命率が10%ずつ低下してしまう事が頭を過る。

夫が浴室へ移乗するため膝に乗せていた移乗ボードを、車椅子の背もたれに差し込んだ。気休めにしかならないと思いながらも、車椅子の転倒防止バーを上げ、車椅子のまま後ろに倒して心マした。

「パパ!だめ!!頑張って!!」と夢中で押した。

救急車が到着するまでの15分。人生の中でこんなに時間が長く感じた事はない。

「救急隊です。入ります!」と声がし、4名の救急隊が来てくれた。1人の隊員に簡単に状況を説明していると、隊員3名で夫を床に寝せAEDを装着していた。

そうしているうちに、義母と義兄が到着。準備をして子ども達と車で病院へ向かうから、どっちかに救急車に乗って欲しいとお願いする。義兄が同乗する事になった。子どもを義母に見てもらってる間に、保険証と診察券を準備し義兄へ渡した。

呼吸停止から約20分程経過していた。

救急隊から「心臓がけいれんしていて除細動を行いました。今、心拍は再開して自発呼吸していますが、まだ意識はありません。先生から指示をもらって心臓を元気にするお薬を投与しながら搬送します」と話しがあった。

 

救急車が行った後、玄関に置いてあったポールハンガーが搬送の際にぶつかって折れていた。胸がぎゅっと押しつぶされそうになった。

義母と子ども達と病院へ向かう。

車の中で、息子が「パパ、大丈夫かな。今日みんなでしゃぶしゃぶだったのに。明日帰って来れたら食べれるよね」と話す。涙をこらえて「そうだね。パパ元気になって帰って来れたらいいね」と答えるのが精一杯だった。

 

救急搬送後、入院へ・・・

病院へ到着し、救急外来の廊下で呼ばれるまで待つ。

息子が「お腹空いた」と言ったため、まだまだ時間はかかるだろうということで、私と娘が残り、義母と義兄が息子を売店に連れて行ってくれた。

両親に連絡を入れていなかったことに気づき連絡する。なにかあった時にすぐ動いてもらえるよう、実父が仕事を休み駆けつけてくれる事になった。

抱っこ紐に入っていた娘は、いつの間にか眠っていた。

誰も居ない廊下で立っていると、救急隊が出てきて一礼し帰って行った。

間もなくして、看護師に中へ入るよう促された。

医師の前に座ると、倒れた時の状況を説明して欲しいとの事だったので伝えると、また廊下で待つよう言われた。

息子達が戻って来た。息子に「ママにもおにぎり買ってきたよ」と言われたが、空腹を感じなかった。

夫がストレッチャーで出てきた。医師より「MRI撮ってきます。もう少しお待ちください」と言われる。

夫が検査から戻り、再び救急外来へ入っていくも、しばらく呼ばれなかった。

待っている時間がすごく長く感じた。いや、実際長かったと思う。

1時間以上経過して、医師からご家族の方へ説明がありますと呼ばれた。

義母は廊下で待っていると言った。

義父、義兄と共に医師の説明を聞く。「心臓が止まってしまって、脳に酸素がいっていない時間が長かったため、脳がダメージを受けています。もう目を覚ますことはないと思います。今は自発呼吸していますが、心電図の波形が乱れていて、いつまた致死的な不整脈が起こるかは分かりません。もうお家へ帰る事は出来ないので、このまま入院となります。なにか質問はありますか」

義父が「こちらから話しかけても分からないって事ですか。元々の病気と関係あるんですか」と質問する。

医師からは「なんとも言えませんが、返答できないけど聞こえてはいるかもしれません。今回は元々の病気とは全く関係なく、致死的な不整脈が急に起こったと考えます。それは今まで健康な人がいつ起こるかはわからない、私も明日にはそうなるかもしれません」と説明される。

そのまま、夫の所へ案内された。

血痰がすぐに溜まり、何度も吸引されていた。

私の蘇生がもっとちゃんと出来ていたら・・・と自分を責めながら夫の結婚指輪を眺めていた。

看護師に「病棟で入院の準備が出来たらご案内します。また廊下でお待ち下さい」と言われ再び廊下へ戻った。

息子と義母へ「パパもう意識戻らないんだって」と伝える。義母は肩を震わせて泣いていた。

娘が泣いたため空きベッドを借りて授乳した。カーテンで閉められた空間で、不安と悲しみに潰されそうになりながら声を押し殺して泣いた。

少し落ち着てから廊下へ戻ると、実父が到着し息子を見てくれていた。

病棟の準備もできたらしく、そのまま病棟へ上がった。

コロナのため、家族はエレベーターホールで待つよう説明され、私だけ連絡先等聴取するためにナースステーションに通された。

一通り話が終わると「では、何かあったら連絡しますので。コロナのため付き添いはできません」と言われたが、次に会えるのはもう・・・と思い、義父と実父が顔を見れていない事を伝えると短時間で面会してもいいと言ってくれた。

病室に入ると、実父が「なっちゃんが待ってるぞ、頑張れ」と声をかけた。偶然かもしれないが、夫の目から涙がこぼれた。

息子も夫に触れる。

娘の手を夫の手の上に置く。

奇跡を願いながら病室を後にした。

 

急変、別れ

義兄と義父は義実家へ帰り、義母と実父は入院準備のため私の家へ帰宅した。

まず娘を寝せなければと寝室へ向かった。もう23時を回っていた。

娘を寝かしつけていると、寝る準備を済ませた息子も寝室へ来た。

2人が眠り居間へ戻ると、実父と義母が分かる範囲で入院準備を進めていてくれた。

ダイニングテーブルに座り、入院申込に記入し始めた時だった。

スマホの着信音が鳴った。画面を見なくても急変だと悟った。

やっぱり病院からの着信だった。

「病棟の看護師です。急変しました。すぐに来れますか」と・・・。「はい」と返事をして電話を切った。

義母は義兄と共に向かうと言うので、実父に子どもをお願いし一人で病院へ向かった。

とにかく間に合って欲しい一心で車を走らせた。病院の駐車場から病棟まで走った。

 

病棟へ到着すると、看護師に病室へ案内された。

医師が心マしていた。AEDが置かれている。

「パパ、着いたよ、居るからね」と声を掛けて手を握る。全身冷汗をかいて手が冷たくなっていた。苦しませてごめん、でも待っててくれてありがとう・・・と思った。

医師から「致死的な不整脈が出ています。薬も入れてますが、厳しいです」と説明される。

もう、いい・・・もういいよ・・・と思ったが、義両親・義兄が到着していなかったため、もう少しだけ蘇生を頼んだ。

それから数分して義両親、義兄が到着した。

医師が「蘇生を続けていますが、もう本人も苦しいだけなので・・・」と言うと、義兄が「自分がやってもいいですか」と心マを変わる。

義母が心電図モニターを見て「心臓、まだ動いてるのにダメなの?」と言う。

この時、蘇生しているのを見るのが辛かった。

自分が冷たい人間なのかもしれない、でも、もういい・・・十分頑張ってくれたから、もういいよ、もう苦しませないであげて・・・と思っていた。

義兄が心マを止めると、看護師が「ご家族で最期の時間を・・・」と言った。

 

少ししてから義母が「あやちゃんと2人にしてあげよう」と言い、病室から出て行った。

 

 

ゆっくり、ゆっくり心電図モニターのHRが低下していく。

到着してからずっと夫の手を握ったままだった。握り返してはくれない。

大好きなギターを弾く大きな手。短い爪。結婚してからずっと付けてる結婚指輪。

 

 

「一緒に過ごしたのは短い時間だったけど、本当に本当に幸せだった。自分が車椅子だからって気にしてたけど、そんな事全然関係なくて、パパだから幸せだった。ありがとう。なっちゃんとお兄ちゃんの成長ちゃんと見ててよね。約束だよ。」

 

それから数分後、夫は天国へと旅立った。

 

R3.3.14 1:23

 

死亡診断で医師が時刻を言った時、私がよく記念日とか誕生日を忘れちゃうから、夫が俺を忘れるなよと言っているような気がした。

 

 

出会ってから5年、ぎゅっと凝縮された幸せな日々だった。

 

 

 

 

 

 

心臓突然死と一次救命処置(AHA-BLS)

心臓突然死とは、今まで健康だった人に突然致死的な不整脈が起こり、発症から24時間以内に死亡する事。日本では年間6~8万人の方が亡くなっているそうです。

健康診断を受けていても分かりませんでした。若い方も亡くなられています。

 

目の前で大切な人が倒れた時、一次救命できますか?

私は医療従事者で、BLSの研修を受けていますが、どこかの誰かを救うためと思っていました。自分の大切な人が必要になるとは考えていませんでした。

 

夫を失ってずっと後悔しているのが、車椅子から降ろして適切な救命が出来なかった事と、誰よりも先に夫の命をあきらめた事です。ずっとこの辛さを背負っています。

 

あの時、車椅子から引きずり降ろしてでも救急隊の到着までちゃんと一次救命が出来ていたら、未来は少しでも変わっていただろうか・・・と思わずにはいられません。

(移乗に失敗して床に落ちた夫を車椅子へ引き上げる事はあっても、床に降ろすという事は日常でしていなかったので、かなり焦りました)

一次救命は市や消防で講習が行われています。日本ACLS協会のホームページで詳細を見る事ができます。

どうやってやるんだっけ?と覗いてもらえるといいな。

 

蘇生で切った夫のパーカーは、リメイクしてぬいぐるみを作ってもらう事になりました。

 

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あたりまえの日常が続くと忘れそうになる。

 

生きている、それは奇跡。