ウィルチェアファミリーチャンネル

当ブログにご訪問ありがとうございます! 【wheelchair family channel 】ウィルチェアファミリーチャンネルです。 車椅子ユーザーでも臆せずパパママになれる社会にむけての情報をメインに発信しております。当たり前ですが、車椅子ユーザーでも家庭を持って子育てができます。 少しの工夫をみんなで共有して大きな愛のある生活を手に入れませんか?

車椅子のパパは可哀想?そう思わない子に育てよう!私がしてる8つのこと

どうも、のりちゃんです。
f:id:WheelchairFamily:20190612193954j:plain


いやー。
無謀な不妊治療のダメージが意外にデカくてぼんやりしてる間に
みんな更新しててくれてありがとう。

それぞれに忙しい中で
できることをコツコツやって
進めててくれるWCFのメンバー最高♡

腑抜けてる場合やないわ。




さて今日は車椅子親の子どもの話をしましょう。

f:id:WheelchairFamily:20190627214352j:plain


車椅子のパパは可哀想?

うちの息子はそうは思っていませんが、割とそこが不安という方も多いようなので
私はこうしてるよ!というのをお話します。

注)私はこうしてるよというお話なので、必ずこうしなければならないということでも
  こうすれば大丈夫ということでもありません。



わが子が違いに気づくとき

もうすぐ5歳の息子がパパの違いに気づいたのは2歳頃のことでした。
保育園から借りてきた絵本を読んでいて
そこに並んだパパの靴・ママの靴・こどもの靴を指さし、
「パパの。ママの。○○の。」


ページをめくり、歩いていく足を見て
7ujn〈vvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvちあう!パパタイヤ!!!」


それが明確に彼が違いに気づいた瞬間でした。



ぼくのパパは車椅子ユーザー

f:id:WheelchairFamily:20190920221439j:plain

パパは息子が生まれた時から車椅子に乗っています。

ですから息子にとってはその状態がノーマルで当たり前のこと。



膝に子どもを乗せた車椅子を、ジロジロ見る目さえも
彼にとっては普通のことです。
他の子どもがパパに群がり、「それなぁに?なんで乗ってるの?」と言っていることもいつものこと。




「それいいなぁ。かっこいい」というお友だちの声に、
得意げに「でしょー!!!」と言ったり、
「なんで○○くんのパパはベビーカーに乗ってるの?」の問いに
「車椅子っていうんだよ」と答え、「???○○くんは面白いこというね」と言われて、思わず笑ってしまったり。


みんなのパパが車椅子に乗っていないことも、
保育園には他にいないけれど、世の中にはパパやママが車椅子の人がたくさんいることも
当たり前のこととして受け止めています。


まだ小さいからかもしれませんが
それを嫌だとか、悲しいだとかネガティブに受け止めてはいません。



「パパは事故に遭わない方がよかった」ということはありますが、
それはパパが車椅子に乗っていることが嫌だというより、
歩ければ色んな所にパパも一緒に行けて楽しいのになと思っているようです。



車椅子の修理やメンテナンスをしようとすると
工具をもってメンテナンスに参加します。
「ここ押さえてて」
「ここネジネジして取れたら失くさないように箱に入れて」
というと楽しそうに、ハイ!ハイ!と手伝ってくれます。



車椅子に乗るのが好きで、パパの使っていない車椅子に乗り
後ろ向きにひっくり返っても泣かずに「あー倒れちゃった失敗失敗」と立ち上がります。




車椅子は彼にとって、時にパパの足であり
時にベビーカーがわりであり、時におもちゃにもなるのです。



私がしている8つのこと


私の基本的スタンスは
大小問わず障害になりうるものは誰にでもあって
特別なことではないということです。

障がいって、なあに?

障がいって、なあに?

①子どもの気づきのタイミングで親の障害を伝える

3歳を過ぎ、パパの昔の写真を見て
“昔は歩けた”と気づいたのも息子でした。
 

そのタイミングで私は
怪我をしたから歩けないということ、
なぜ怪我をしたかということを説明しました。

 

ちょうど人体に興味を持っていた時期で
人体図鑑を見ながら、
神経ちゃんが脳みそから背骨を通って手足を動かす信号を送っていて、
それが背骨をポキってしたことで
ブチって切れてしまったから信号が行かなくなって足が動かないことを説明すると
3歳(当時)ながらに理解しました。
 

 

②なぜそうなったかを伝える。


事故の原因も話しました。
 
骨格標本を見ると
「パパここポキっだよね。」
「ママ、パパのポキはどこだった?」
と尋ねてきます。
 
背骨柄のTシャツを買ってやると
保育園に着ていき、
先生に「パパ、ここポキなのー」って
先生にアピールしてきたそうです。
 
当然、先生は「…?」 笑

 

「オジサンがちゃんと周りを見てなくて間違っちゃったから、パパは下敷きになってしまったの。
 色んなことを気を付けていないと、自分がケガをすることもあるけど
 人にケガをさせてしまうこともあるんだね。」



③子どもが疑問に思ったことは、ネガティブな感情でも否定せず受け止め答える。


障害理解は刷り込み教育だとも言えます。
親がネガティブな反応を示せば、子どもはネガティブな感情を抱き、障害をネガティブに捉えます。


気持ちを受け止め、
なぜ?に正しく答えてやることが大事。




例えば障害により見た目や行動が違う人を子どもが「気持ち悪い!変なの!」と言ったとき
あなたは叱りますか?



私ならこうします。


・あなたはそう思ったんだねと受け止める。(思うこと自体は別に悪いことではないのです。)
・なんでそうなっているのか(そういう障害状態になっているか)を説明する。
・病気やケガによるもので、好きでそうなったわけじゃないことを話す。
・世の中にはいろんな人がいることを印象付けるため、あえて「いろんな人が居るね。そういう人もいるんだね」と口に出して言う。
・好きでなってるわけじゃないのに気持ち悪いと言われたらどんな気持ちかを一緒に考える。
・もし次に同じように思ったらどうするのがいいか、ママはこうした方がいいと思うんだけどどう思う?と問う。
・じゃ次はこうしてみようか!と一緒に結論を出す。(思っても大きな声では言わないようにするとか、その人が困っていないかよく見るとかそういうようなこと)

ろってちゃん (ブルーナの絵本)

ろってちゃん (ブルーナの絵本)


「ねぇママあの人怖い・気持ち悪い」そういったとき
「なんてこと言うの!!そんなことを言っちゃいけません!!」というと
子どもはこう思うんじゃないでしょうか。

「ママに叱られちゃうから、あの人は怖い!嫌い!関わっちゃいけない」
そうやってネガティブな感情と障害のある人が結び付き、
彼らはきっと、ああいう人とは関わるべき・触れるべきではないと学習するでしょう。



④間違った解釈は正しい事実で補う。

四肢や体の一部の欠損が、直接不幸・可哀想と結びつくことはないのだということは正しく教える。


⑤嘘はつかない。

「いい子にしたら治る?」「神様にお願いしたら治るんじゃない?」「サンタさんに持ってきてもらおう」
そうした子どもの発想は実に優しく、想像豊かでほほえましいのですが、
研究によると、障害が治らなければならないもの・異物である・健常体こそが優れておりノーマルであるという考え方に陥るため
「治らないよ。治るものではないの」とはっきり伝えるべきだとわかってきたのです。
それは残酷なことではないのです。


⑥人生を楽しんでいる色んな車椅子ユーザーの姿を見せる

これは言葉で伝えるのではなく姿を見せる方がわかりやすいでしょう。
かっこいい車椅子に乗った人、様々なアダプタを車椅子に着けてアウトドアやスポーツを楽しむ人、
車椅子で空を飛ぶ人、ダイビングをする人、赤ちゃんを抱いた人、
人生を楽しんでいる車椅子ユーザーの姿を意図的に見せ、
車椅子ユーザーも他の人と何も変わらないことを知らせます。

車椅子は歩けないことの象徴ではなく
乗ればどこにでも行ける・行動範囲を広げてくれる素敵な道具なのです。


⑦車椅子ユーザーを親に持つのはあなただけではないと知らせ、会う機会を作る。

これも大切なことだと思っています。

ぼくだけじゃない!ということに救われるときもあるでしょうし
うちだけが変わっていて、特別なわけじゃないことをわかっていれば
それが支えになることもあるでしょう。
もし、いつか大きくなって悩む日が来ても
自分と似た環境のお友だちに相談できればなーと思うのです。

だって親でさえ、同じ車椅子のママやパパをSNSで探すのですから
子どもだって同じ環境の子ども同士にしか共感できないものを抱えているかもしれないのです。


4歳の息子が初めて他の車椅子親のお子さんに会った帰り、彼はこういいました。
「ねぇ、ママ?よのなかにはさ、パパもママもどっちも車椅子の人もいるの?会ってみたいなぁ。」

ある車椅子ママのお子さんは私にこういいました。
「え?!ママじゃなくてパパが車椅子なの?!!!うわぁびっくり☆今度パパも連れておうちに遊びにきてね。」


彼らはいつだって、"自分だけがちょっと他の子と違う"
そう、心のどこかで思っているのかもしれません。


⑧いろんな人が居るということを伝える

同一民族が大多数を占める島国日本では、大多数とは違う人や型からはみ出た人は理解を得られません。
正しいかどうかより、共感が得られるかどうかが正義になる国民性です。

ですが、我が子にはいろんな人が居てもいいことを認め、
自身がどんな人間であっても、それを自分自身で受け入れられるための手助けにしてほしい!
ですから、ことあるごとに『いろんな人がいること』を意識づけさせています。

外国人もいる、見た目が違う人もいる。
不安になると叫んじゃう人もいる。
車椅子の人もいれば、障害特有の動きとしゃべり方がある人もいる。
ワンちゃんに目の代わりをしてもらってる人もいれば、
とんでもなく怒りん坊で怒鳴り散らしてる人もいる。いつもにこにこしてる人もいる。

いろんな人が居るのが社会で、そこには危険や悪意もあるけれど
見た目や所作が違うことがイコールで危険な人・蔑んでいい人・悪意のある人ではないということ、
排除すべきものを間違えずに選び取れるようになってほしいのです。



まとめ

これから大きくなるにつれ、
悲しい思いや疑問や、葛藤も出てくることでしょう。
 
 
それをできるだけ最小限に
できるだけポジティブにしてやれるために
親ができることってなんなんだろうなと日々迷いながら子育てしています。


私がしている方法は私が短大・大学で学んできた障害理解の授業や
障害理解教育の研究がまとめられた書籍をベースにして独自にやっていますが
車椅子親の子どもたちについての研究はされておらず、
必ずしもこれが正しい方法であるとは言えません。


ただこれだけは確か。
親が障害をネガティブに感じていれば子どももそう思います。




もしかしたらこうやって育てていても
我が子が超過激派思想になるかもしれないし、
パパの障害に対してものすごい葛藤を抱く時がくるかもしれません。
こればかりはその子の性格や環境も含め、その時になってみないとわからないのです。


ですから無理矢理、子どもに強制し洗脳するのではなく
その子の成長や気づきに合わせて、
「障害があるというのはどういうことなのかな?」を子どもの気持ちに寄り添い
一緒に考えていける親であれば、それで良い。そうありたいと心がけて行こうと思うのです。





悩んでいるのはあなただけではありません。
皆、同じようなことに悩みながら
日々子どもと向き合っているはずです。

ひとりじゃないよ。