ウィルチェアファミリーチャンネル

当ブログにご訪問ありがとうございます! 【wheelchair family channel 】ウィルチェアファミリーチャンネルです。 車椅子ユーザーでも臆せずパパママになれる社会にむけての情報をメインに発信しております。当たり前ですが、車椅子ユーザーでも家庭を持って子育てができます。 少しの工夫をみんなで共有して大きな愛のある生活を手に入れませんか?

アイデア賞を受賞しました!

車椅子ママのみっちゃんです。

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一般社団法人むすび主催のモノづくりコンテストに

ウィルチェアファミリー名義でアイデアを応募しました。

 

welserch.com

 

車椅子ママの先輩である又野亜希子さんのベビーベッドを

モチーフとして応募したところ、

なんと、アイデア賞をいただけました〜〜!

 

テーマは【車椅子に座ってお世話できるベビーベッド】

 

車椅子ユーザーにとって既製品のベビーベッドはどこが使いづらいか?

 

・対面でお世話するには膝がベッドの下に入る必要があるが、足元があいているタイプは少ない(ものが置けるような棚になっていたり、高さや、扉の開閉方法による)

・扉のロックの位置が高い、また扱いづらい

・アプローチできる扉が少ない

 

などなど。

 

それを解消するにはどのような解決策があるかを提案したものが

今回のプロダクト案でした。

とはいえ、説明文の他に描いたのは一枚の手書きの絵のみ^^;

掲載にあたってプロの方にわかりやすいように描きなおして頂きまして、

作品集に掲載させていただけることになりました。

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このような賞をいただけたことはとてもありがたいことですが、

世に出てこそ車椅子パパママにお役に立てるものです。

しかしながら、

ウィルチェアファミリーは任意団体のため

現時点で経済力や商品化する力があるわけではありません。

そのため、まずは商標登録を検討しているところです。

 

私たちの活動は、車椅子ユーザーが臆することなく

パパママになれる社会になるよう、

心配や不安の種を取り除いていくこと。

それは商品開発であったり、

お困りごとの相談であったり、情報提供であったり、

そうした地道な取り組みを継続していく必要があります。

 

今後のウィルチェアファミリー発展のためにも、

皆様の温かいご支援をよろしくお願いいたします。

wcfwcf.thebase.in

↑車に使用するマグネットステッカーや、

可愛いオリジナルステッカーを販売しています。

suzuri.jp

↑文房具や衣類、雑貨など、様々なグッズを取り揃えています。

あの有名な本にウィルチェアファミリーの名前が…!!!?

 

こんばんは。

 

早速ですが、パーフェクトワールドというマンガをご存知でしょうか?

車椅子ユーザーも、そうでない方も、一度は耳にしたことがあるかと思います。

 

ドラマでは松坂桃李さん、映画では岩田剛典さんが演じたあの有名な有賀りえさんの作品です。

 

パーフェクトワールドをきっかけに、車椅子に興味や意識を向けた方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

 

パーフェクトワールド|Kiss -読むと恋をする- 講談社の女性漫画誌

 

車椅子ユーザーでも恋愛はできるし、家庭を築くこともできるんだよ。

そんな温かい後押しをしてくださる作品でもありました。

 

ウィルチェアファミリーとしても、車椅子ユーザーの恋愛や家庭を描いた素晴らしい作品が車椅子と無関係で生活していらっしゃる方の目に触れることになり嬉しい限りです。

 

そんなパーフェクトワールドにウィルチェアファミリーの名前が載っていることを皆さん、ご存知でしょうか。

 

今までお声がけいただいたことはないのですが、実は見つけてたよ!という方がいらっしゃったら是非お声がけください。

とても嬉しいです😊

 

パーフェクトワールド12巻(最終巻)をお持ちの方は是非、一度ウィルチェアファミリーを探してみてください。

 

「パーフェクトワールド」既刊・関連作品一覧|講談社コミックプラス

 

見つけてくださったら泣いて喜びます😂

隅々まで読んでいただけたらきっとでてくるわたしたち。

 

どこに載っているかは、また次回。

 

 

 

 

 

車椅子親家庭が諦めがちなこと

随分と寒くなってきましたが
皆様、いかがお過ごしですか?のりちゃんです。
お久しぶりです。

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先日、小学校から配られたお便りを眺めながら
「こういう時なんだよなぁ…」と思った、
車椅子親家庭が諦めがちなことについて
今日はお話しようかと思います。


子ども向けイベント

私の住む市では頻繁に様々なイベントが催されます。
子どもが好きそうなイベントも多く、
今回配られたお便りも子ども向けイベントです。
それも、息子の好きそうなもの。

連れて行ってやりたいなと詳細を見て
ため息をつきました。

【駐車場なし。駅からシャトルバス運行】

このパターンの多さよ…

連絡というハードルの高さ

事前に電話をかけて
「車椅子はバスに乗れるか?」
「車で行くことは認めてもらえるか」
という連絡と交渉をしなければなりません。

または私がひとりで連れていくか…。

連絡交渉くらいすればいいやん!
とお思いでしょうが、こんなことが日常茶飯事なのです。
何かをしようと思うと、行こうとすると、参加しようとすると
連絡と交渉の嵐。たらい回しの嵐。

そして私が行けない場合、
私が子どもを連れて行ってやりたいと思っても
旦那がそこまでして行かんでええよと言えば、
それで終わってしまうのです。

「ちょっとパパ、これ行きたいんやて。連れてってやってきてよ」
が、言えない。

連絡・交渉がある、それだけで
ハードルがグッと上がってしまいます。

嫁が連れて行ってやればええやん!
と思われますか?
まぁそうでしょう。

ですがパートナーも用事や体調等、様々な理由を抱えています。
常に「私が頑張らないとこの子は体験ができない!」と気を張るしんどさがついてまわります。

困難だろうと予想した瞬間、
「諦める」を選択することに慣れてしまっている車椅子ユーザーやその家族も多いのではないでしょうか。

排除は意図しないところにもある

“普通”や“当たり前”の枠からはみ出ていることで
子どもが不利益を被らない社会ならなと
時々考えます。

もしも「シャトルバスに乗れない場合はご連絡下さい」「シャトルバスに乗れない場合に限り駐車場〇台確保あり」と記載があれば
【参加する】を実現できる人もいるのです。

例えば小さい赤ちゃんを連れたママ
例えば足の悪いおじいちゃん
例えば車椅子に乗った親
例えばシャトルバスという閉鎖空間に耐えれない子ども

書き方ひとつ、事前の用意体制ひとつ、
主催者の意向が見えるか否かで、
ただそれだけの事で参加できるできないが
決まってしまう層がいるのです。

主催者とて、意識して排除しようと思ってなどいないでしょう。

ですが、こんなところにも
排除はあるのです。

日常の中に、当たり前に潜んでいます。

不利益を被るのは…

車椅子の親が排除された結果、不利益を被るのば誰でしょう?
不利益を被るのは子どもたちになってしまうのです。

親の付き添いが必要な、
山登りや公民館の製作イベント、屋外イベント、
他にも様々な場所で

私たち車椅子の親やそのパートナーは
「ここは段差があるの?エレベーターは?」
「これはどこまで親が手をかさなきゃいけない?」
「それは自分に出来るサポートなのかなぁ」
「子どもがトイレと言ったら付き添えるようなトイレ?」
「駐車場はある?駐車場はどんなタイプ?」
「会場の混雑具合は?」
様々な不安が頭を過ります。なぜなら子どもの“保護者”だからです。

想像してみてください。

たくさんの不安を抱え、断られるかもしれないのに
事前の電話連絡をするハードルの高さを。


だから障害者は親になっちゃいけないんだよ?

そんなことを言う人たちも居ますが
論点がズレています。

私たちはただ、ほかの親と同じように
保護者として子どもたちを楽しませたいだけです。
自分たちのハンディキャップが理由で子どもの経験や楽しみの機会を奪われたくないと考えているだけです。

社会には歩けない親、歩けなくなってしまう親、選択肢の狭い親もいるのだということを
想定して欲しい、または選択肢を提示して欲しいのです。

交渉能力の是非に左右されずとも
参加が叶う、そんな環境になって欲しいと切に願いながら
日々、育児に追われています。

キャンプしよう!車椅子キャンパーに準備や心得を聞いてみた。

こんにちは、車椅子ママのみっちゃんです。
 
行楽シーズン、家族で外に出かけやすい気候になってきましたね。
ショッピングモールや博物館ならまだしも、屋外の自然豊かなところ・・というのは、車椅子ユーザーにとってちょっとハードルが高いと感じることがあります。
我が家でも「冒険少年」のあばれる君に憧れ、キャンプやBBQが好きな長女が、いつか本格的なキャンプをしたい!と夢見ているようです。
これは叶えてあげたい。
 
今回は、キャンプや山登り好きな旦那さんを持つ車椅子友達の聖子ちゃんに、車椅子キャンパーの心得を伺いました。
(車椅子や身体的事情は人によって様々なので、どなたでも大丈夫!行ける!とはならないですが、「キャンプしてみたいけどできるのかな?」と思っている車椅子ユーザーに少しでも参考になれば幸いです^^)
 

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みっちゃん:
今までキャンプに行って、車椅子ユーザー目線でもトイレや設備が整ってるなぁー!と思えるような施設はあった?それとも、どこもある程度手を借りないとひとり行動は難しい感じだった?
 
 
聖子ちゃん:
こちら(九州方面)のキャンプ場事情だと、キャンプ場に車椅子トイレが設置されてるキャンプ場もあって、テント場からトイレまでの道のりもスムーズに行ける施設もあったりするよ。
テント泊が厳しい方はキャンプ場敷地内にコテージが設けられいて、そこがバリアフリーだったりする建物もあったり。
まあ、数が少ないけどね。
それから、基本キャンプ場は草地や砂地だから車椅子走行は力が必要かな。
 
 
みっゃん:
そうなんだね。いきなりテント泊じゃなくても、コテージから入るのもありだね。
キャンプとなると寝る場所の確保が健常者より大掛かりになりそうなイメージ。
いつもとは寝る場所が違うのって楽しみでもあり、不安でもあり・・寝るときのキャンプグッズはどんなものを使ってる?
 
 
聖子ちゃん:
寝具はほんと自分に合ったものを選んだ方がいいよ👌
褥瘡できたら笑えん(笑)
近年はキャンプグッズが充実してきてるから、テント内に設置できる持ち運び可能な簡易ベッドもあるから、床トランス厳しい方にはオススメ♪
ちなみに私はいつもエアーベットの上に寝袋な感じ。
 
 
みっちゃん:
簡易ベッドあると助かるね。硬いとこでは絶対寝られん(汗)
寝具選び大事やね。エアーベッドなら私の仙骨も無事でいられそう(笑)
キャンプ場の多目的トイレはどう?
 
 
聖子ちゃん:
キャンプ場に車椅子ユーザーが訪れることは少ないこともあって、車椅子トイレをずっと開けてないキャンプ場も。多少汚いトイレでも『拭けばなんとかなるか!』ってサバイバルメンタルも養われてきたよ!
だから、虫の死骸&クモの巣だらけのトイレでもわりと平気で行けるようになった(笑)
 
 
みっちゃん:
さすがキャンパー!(笑)こればかりは慣れだね。
 
 
聖子ちゃん:
あと、これは車椅子ユーザーあるあるかもしれんけど、標高高めな山でのキャンプ場では、お漏らし度高め!そうすると、翌朝は足の浮腫が取れてる。
 
 
みっちゃん:
車椅子ユーザーあるある衝撃的!!気圧とかの関係なのかな。むくみが取れるのは嬉しいけど、失禁対策は必須だね。ちなみに排便はどのタイミングに済ませてキャンプ行く?
行く前や、行った先で体調面で気をつけてる事はある?
 
 
聖子ちゃん:
排便は前日に出していくよー!
高地になればなるほど昼間と朝晩の温度差が激しいから、体温調整難しい方は防寒対策するのがオススメ!
私は11月に山奥でキャンプして、明け方2℃くらいに気温が下がって寒くてガタガタ震えて死んだと思ったよ(汗)
 
あとは、ダニや虫刺されに注意かな!
足元は感覚がないから刺されても気付かんとよね。
私、足首まわり100箇所以上にダニとか虫刺されて、完治に1ヶ月以上かかってしまった・・(汗)
夏でもサンダルじゃなくて、足元を守る工夫がオススメ。
 
 
みっちゃん:
やっぱ自然の中で排便は避けたいもんなァ。トイレ対策必須だね。
ダニにそんな刺されたらすっごくかゆそう…感覚ないと落とし穴だね。
 
 
聖子ちゃん:
私のキャンプ経験は100%夫のお陰で、結婚前はキャンプできるって1ミリも思わんかった。
 
 
みっちゃん:
そうだよね。車椅子でキャンプやろう!ってなると、結構ハードルが高いと思うのよ。経験者がいないと、どこから??ってなるし。
アウトドアを一緒に楽しもうってリードしてくれる旦那さんがいるって素敵だね。
 
聖子ちゃん、色々興味深いお話聞かせてくれてありがとう!
 
 
ラジオパーソナリティや、講演会、シンガーソングライターなど、多岐にわたって活動しているパワフルな聖子ちゃんのインスタグラムはこちら
キャンプの詳しい様子などの投稿もありますので、興味を持たれた方は見てみてくださいね。
 
 

死は突然に…致死性不整脈

秋の夜長と言いますが、最近はなかなか寝付けず・・・

ぼんやりと夫を思い出しながら涙する日々が続いているayaちゃんです。

9月8日に笑ってこらえて結婚式の旅に出演していた、遠藤のどかさんが亡くなりました。

大腸がんステージⅣ発覚から3年でした。

愛する遠藤さんと結婚し、子どもを授かり(娘と同い年で1歳)、素敵な人生を駆け抜けたと思います。

当時の結婚式の放送を夫と共に泣きながら見ていたので、かなり衝撃でした。

 

 

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夫が急逝したのは2021年3月14日。

ちょうど今月で半年になりました。

今まで夫が急死した日の事は、心のどこかで蓋をして日々過ごしていました。

でも、最愛の夫と過ごした最後の日。

人の記憶は時間と共に曖昧になってしまう。今のうちに文章に残したいと思います。

普段看取りをさせていただく立場にあっても、なぜかそれは自分の大切な人や自分とは程遠い事のように感じていました。

生きてる限り、いつでも生と死は隣り合わせなのに。

 

会話中の呼び方を

夫=パパ

息子=お兄ちゃん

娘=なっちゃん で書いていきます。

 

いつもの日常が一転・・・

2021年3月13日(土)

この日は夫の仕事が休みで(私は娘が生後7ヵ月で育休中)、家族4人で昼はマックを食べ、だらだらと過ごしていた。

その時に夫が撮影してくれた私と子ども達の写真。この写真は夫が撮ってくれた最後の写真となった。

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夕方になり、夫が「さあ風呂リレーして晩飯食うぞ!」と言った。我が家では、17時半に夫が導尿timeに入るので、その間に私と子どもが入浴し、トイレが終わった夫とお風呂を交代するという流れだった。

その時、娘が息子の飛行機ポーズを真似していて、みんなで笑っている最中だった。これは写真にも動画にも残っているが、夫の笑い声が入っている動画を今でも見ることが出来ずにいる。

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いつも通り子どもと3人でお風呂に入り、息子が最初に上がって居間に居た夫のスマホでゲームを始めた。

私は、娘の着替えを済ませて、夫に「パパー、お風呂いいよー!」と声を掛けた。この時、一瞬ぞわっと胸騒ぎがした。

髪を乾かしていると、夫が脱衣室に移動してきたので、心の中でほっとした。

夫が髪を乾かしている私に向かって「ちょっと、お兄ちゃんが俺の携帯使ってたんだけどさ~・・・」と話し始めた。しかし、その先を話さないので鏡越しに夫を見ると、車椅子の背もたれにのけ反って脱力していた。低血糖?低血圧?と思った。

急いで夫に駆け寄って声を掛ける。

「パパ!パパ!!聞こえる?ちょっと!!!」

この時、右腕は内転し硬直、口唇チアノーゼ、舌根沈下していた。

あ・・・呼吸停止してる、やばいと一瞬で感じた。

私は息子に「お兄ちゃん、ママの携帯持ってきて。パパが倒れた。なっちゃんの事危なくないように見てて」と叫んだ。

息子は携帯を持ってすっ飛んで来た。

すぐさま119番通報し、状況を説明する。緊張から喉が一瞬で乾いて話にくかった。

救急隊に「到着まで心肺蘇生を続けて下さい。保険証の準備お願いします」と言われるも、大人は私一人。保険証なんて出してる余裕あるか!!!と思った。

そのまま急いで義母へ電話し、「パパが呼吸止まって倒れた。救急車に一緒に乗ってって欲しいからすぐ来て欲しい」とだけ伝えて電話を切る。

脱衣室が狭かったため急いで寝室へ移動し、夫を車椅子から床に移そうとした。しかし、全身脱力した成人男性を車椅子から降ろすのは一苦労。息子に手伝ってもらおうと声を掛けるも、脱衣所の入口で首を横に振る。

怖いよね…、ごめんね…と思った。近所に手を借りようかとも思ったが両隣はご高齢・・・。

心停止から1分経過する毎に、救命率が10%ずつ低下してしまう事が頭を過る。

夫が浴室へ移乗するため膝に乗せていた移乗ボードを、車椅子の背もたれに差し込んだ。気休めにしかならないと思いながらも、車椅子の転倒防止バーを上げ、車椅子のまま後ろに倒して心マした。

「パパ!だめ!!頑張って!!」と夢中で押した。

救急車が到着するまでの15分。人生の中でこんなに時間が長く感じた事はない。

「救急隊です。入ります!」と声がし、4名の救急隊が来てくれた。1人の隊員に簡単に状況を説明していると、隊員3名で夫を床に寝せAEDを装着していた。

そうしているうちに、義母と義兄が到着。準備をして子ども達と車で病院へ向かうから、どっちかに救急車に乗って欲しいとお願いする。義兄が同乗する事になった。子どもを義母に見てもらってる間に、保険証と診察券を準備し義兄へ渡した。

呼吸停止から約20分程経過していた。

救急隊から「心臓がけいれんしていて除細動を行いました。今、心拍は再開して自発呼吸していますが、まだ意識はありません。先生から指示をもらって心臓を元気にするお薬を投与しながら搬送します」と話しがあった。

 

救急車が行った後、玄関に置いてあったポールハンガーが搬送の際にぶつかって折れていた。胸がぎゅっと押しつぶされそうになった。

義母と子ども達と病院へ向かう。

車の中で、息子が「パパ、大丈夫かな。今日みんなでしゃぶしゃぶだったのに。明日帰って来れたら食べれるよね」と話す。涙をこらえて「そうだね。パパ元気になって帰って来れたらいいね」と答えるのが精一杯だった。

 

救急搬送後、入院へ・・・

病院へ到着し、救急外来の廊下で呼ばれるまで待つ。

息子が「お腹空いた」と言ったため、まだまだ時間はかかるだろうということで、私と娘が残り、義母と義兄が息子を売店に連れて行ってくれた。

両親に連絡を入れていなかったことに気づき連絡する。なにかあった時にすぐ動いてもらえるよう、実父が仕事を休み駆けつけてくれる事になった。

抱っこ紐に入っていた娘は、いつの間にか眠っていた。

誰も居ない廊下で立っていると、救急隊が出てきて一礼し帰って行った。

間もなくして、看護師に中へ入るよう促された。

医師の前に座ると、倒れた時の状況を説明して欲しいとの事だったので伝えると、また廊下で待つよう言われた。

息子達が戻って来た。息子に「ママにもおにぎり買ってきたよ」と言われたが、空腹を感じなかった。

夫がストレッチャーで出てきた。医師より「MRI撮ってきます。もう少しお待ちください」と言われる。

夫が検査から戻り、再び救急外来へ入っていくも、しばらく呼ばれなかった。

待っている時間がすごく長く感じた。いや、実際長かったと思う。

1時間以上経過して、医師からご家族の方へ説明がありますと呼ばれた。

義母は廊下で待っていると言った。

義父、義兄と共に医師の説明を聞く。「心臓が止まってしまって、脳に酸素がいっていない時間が長かったため、脳がダメージを受けています。もう目を覚ますことはないと思います。今は自発呼吸していますが、心電図の波形が乱れていて、いつまた致死的な不整脈が起こるかは分かりません。もうお家へ帰る事は出来ないので、このまま入院となります。なにか質問はありますか」

義父が「こちらから話しかけても分からないって事ですか。元々の病気と関係あるんですか」と質問する。

医師からは「なんとも言えませんが、返答できないけど聞こえてはいるかもしれません。今回は元々の病気とは全く関係なく、致死的な不整脈が急に起こったと考えます。それは今まで健康な人がいつ起こるかはわからない、私も明日にはそうなるかもしれません」と説明される。

そのまま、夫の所へ案内された。

血痰がすぐに溜まり、何度も吸引されていた。

私の蘇生がもっとちゃんと出来ていたら・・・と自分を責めながら夫の結婚指輪を眺めていた。

看護師に「病棟で入院の準備が出来たらご案内します。また廊下でお待ち下さい」と言われ再び廊下へ戻った。

息子と義母へ「パパもう意識戻らないんだって」と伝える。義母は肩を震わせて泣いていた。

娘が泣いたため空きベッドを借りて授乳した。カーテンで閉められた空間で、不安と悲しみに潰されそうになりながら声を押し殺して泣いた。

少し落ち着てから廊下へ戻ると、実父が到着し息子を見てくれていた。

病棟の準備もできたらしく、そのまま病棟へ上がった。

コロナのため、家族はエレベーターホールで待つよう説明され、私だけ連絡先等聴取するためにナースステーションに通された。

一通り話が終わると「では、何かあったら連絡しますので。コロナのため付き添いはできません」と言われたが、次に会えるのはもう・・・と思い、義父と実父が顔を見れていない事を伝えると短時間で面会してもいいと言ってくれた。

病室に入ると、実父が「なっちゃんが待ってるぞ、頑張れ」と声をかけた。偶然かもしれないが、夫の目から涙がこぼれた。

息子も夫に触れる。

娘の手を夫の手の上に置く。

奇跡を願いながら病室を後にした。

 

急変、別れ

義兄と義父は義実家へ帰り、義母と実父は入院準備のため私の家へ帰宅した。

まず娘を寝せなければと寝室へ向かった。もう23時を回っていた。

娘を寝かしつけていると、寝る準備を済ませた息子も寝室へ来た。

2人が眠り居間へ戻ると、実父と義母が分かる範囲で入院準備を進めていてくれた。

ダイニングテーブルに座り、入院申込に記入し始めた時だった。

スマホの着信音が鳴った。画面を見なくても急変だと悟った。

やっぱり病院からの着信だった。

「病棟の看護師です。急変しました。すぐに来れますか」と・・・。「はい」と返事をして電話を切った。

義母は義兄と共に向かうと言うので、実父に子どもをお願いし一人で病院へ向かった。

とにかく間に合って欲しい一心で車を走らせた。病院の駐車場から病棟まで走った。

 

病棟へ到着すると、看護師に病室へ案内された。

医師が心マしていた。AEDが置かれている。

「パパ、着いたよ、居るからね」と声を掛けて手を握る。全身冷汗をかいて手が冷たくなっていた。苦しませてごめん、でも待っててくれてありがとう・・・と思った。

医師から「致死的な不整脈が出ています。薬も入れてますが、厳しいです」と説明される。

もう、いい・・・もういいよ・・・と思ったが、義両親・義兄が到着していなかったため、もう少しだけ蘇生を頼んだ。

それから数分して義両親、義兄が到着した。

医師が「蘇生を続けていますが、もう本人も苦しいだけなので・・・」と言うと、義兄が「自分がやってもいいですか」と心マを変わる。

義母が心電図モニターを見て「心臓、まだ動いてるのにダメなの?」と言う。

この時、蘇生しているのを見るのが辛かった。

自分が冷たい人間なのかもしれない、でも、もういい・・・十分頑張ってくれたから、もういいよ、もう苦しませないであげて・・・と思っていた。

義兄が心マを止めると、看護師が「ご家族で最期の時間を・・・」と言った。

 

少ししてから義母が「あやちゃんと2人にしてあげよう」と言い、病室から出て行った。

 

 

ゆっくり、ゆっくり心電図モニターのHRが低下していく。

到着してからずっと夫の手を握ったままだった。握り返してはくれない。

大好きなギターを弾く大きな手。短い爪。結婚してからずっと付けてる結婚指輪。

 

 

「一緒に過ごしたのは短い時間だったけど、本当に本当に幸せだった。自分が車椅子だからって気にしてたけど、そんな事全然関係なくて、パパだから幸せだった。ありがとう。なっちゃんとお兄ちゃんの成長ちゃんと見ててよね。約束だよ。」

 

それから数分後、夫は天国へと旅立った。

 

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死亡診断で医師が時刻を言った時、私がよく記念日とか誕生日を忘れちゃうから、夫が俺を忘れるなよと言っているような気がした。

 

 

出会ってから5年、ぎゅっと凝縮された幸せな日々だった。

 

 

 

 

 

 

心臓突然死と一次救命処置(AHA-BLS)

心臓突然死とは、今まで健康だった人に突然致死的な不整脈が起こり、発症から24時間以内に死亡する事。日本では年間6~8万人の方が亡くなっているそうです。

健康診断を受けていても分かりませんでした。若い方も亡くなられています。

 

目の前で大切な人が倒れた時、一次救命できますか?

私は医療従事者で、BLSの研修を受けていますが、どこかの誰かを救うためと思っていました。自分の大切な人が必要になるとは考えていませんでした。

 

夫を失ってずっと後悔しているのが、車椅子から降ろして適切な救命が出来なかった事と、誰よりも先に夫の命をあきらめた事です。ずっとこの辛さを背負っています。

 

あの時、車椅子から引きずり降ろしてでも救急隊の到着までちゃんと一次救命が出来ていたら、未来は少しでも変わっていただろうか・・・と思わずにはいられません。

(移乗に失敗して床に落ちた夫を車椅子へ引き上げる事はあっても、床に降ろすという事は日常でしていなかったので、かなり焦りました)

一次救命は市や消防で講習が行われています。日本ACLS協会のホームページで詳細を見る事ができます。

どうやってやるんだっけ?と覗いてもらえるといいな。

 

蘇生で切った夫のパーカーは、リメイクしてぬいぐるみを作ってもらう事になりました。

 

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あたりまえの日常が続くと忘れそうになる。

 

生きている、それは奇跡。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

車椅子パパまでの道のり!どうする?つわり中の生活

インタビューの録音を文字起こししながら
ずっと考えていたつわり問題。



うちのように長く不妊治療をしているパターンだと
不妊治療から妊婦生活にある日突然押し上げられて
え?え?!と思ってるうちに始まってしまうのがつわり。


不妊治療してなくても妊娠は大抵突然なんでしょうが
心の準備や身の回りの準備をしている暇はありません。



つわりはない人もいるけど、酷い人はほんとに酷いですよね。
稀ですが場合によっては命を落としたり、後遺症を残す人もいるそうです。

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車椅子男性の皆様、
ある日突然奥さんが妊娠して
徐々につわりで動けなくなったら

できますか?家のこと。
できますか?上の子の育児。
できますか?ご自分の身の回りのこと。

自分で出来ない場合でも
頼る先を想定できていますか?



息子を妊娠した際、私はつわりが酷い方でした。

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ようやく妊娠した!と喜んだのも束の間、
すぐに荒波への航海に駆り出され
24時間の船酔いが2ヶ月~3ヶ月ほど続きます。

吐きながらも助成金の手続きは待ったナシ。

病院に依頼したり、保健センターと家を何往復もしてあれがないこれがない
あれをいつまでに持ってきてと言うやり取りが続きました(キツい)

次第に、吐くものがなくても繰り返す嘔気。

朝から晩までコタツに転がり、
炭酸水をちびちび飲み、トイレとリビングを往復するだけの3ヶ月。

ほとんど何も食べれないから、
体も脳も全く働きません。

口の中は常に苦く、冷蔵庫やキッチンの匂い、旦那の匂いが一切ダメになり
何も出来ず不安だけを胸に、アプリで赤ちゃんの成長を見るだけの日々。


家事どころか、起き上がることもできません。
食べないから体力が全くなく、シャワーを浴びるだけで息が上がってしまいます。

ただ、息してるだけ。生きてるだけ。

もし私が脊髄損傷だったとしたら、排泄する気力もトランスする気力も体力もなく
ADLは低下し、褥瘡を作ってしまっていただろうと思います。
(車椅子ママは偉大*°)

結局息子の妊娠時、つわりで7キロ痩せました。


当然健診日は自力では運転して病院に行けず、
旦那に運転してもらい
つわりが辛い…と病院で言うと
「水分とれてる?炭酸水飲んでるの?ならOK!」

何がOKやねん(;´༎ຶٹ༎ຶ`)

まぁそんな感じで
家で吐きながら転がっているしかない3ヶ月を過ごしました。

(あとで希望すれば点滴してもらえると知り、白目剥きました)

その間の最低限の家事は旦那がやってくれていましたし
ご飯も私が食べれそうなものを試行錯誤して作ってくれました。

だけど洗濯は私がやるしかないし
彼も仕事してるし、性格が違うから
家事の許容範囲も異なります。

ただ転がって荒れていく部屋を見てるのは
めちゃくちゃきつかった!!
人としての尊厳がもぎ取られた感じといいますか
メンタルもガタ落ちします。


でもこれ、1人目妊娠で
旦那がまだ私が居なくても生活できるレベル・生活できる住宅環境だったから良かったものの

そうじゃなかったら
福祉サービスの入っていない我が家は
夫婦共倒れかもしれません。


つわりの時期ってまだ妊娠自体も不安定で
まだ周りに伝えたくない時期でもありますよね。

太い実家や親類縁者が近くにない限り、
なかなか周りに頼るのも難しいと思います。

いざ困った!となった時には
もう自力で役所に福祉サービスの申請をしに行く余力はありません。

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妊娠を希望する場合は
使える支援は妊娠前に調べて、
可能な限りすぐ使えるよう
手配しておくことをおすすめします。
(妊婦側のサービスだけでなく、障害がある側の福祉サービスや上の子に関わるサービスも)

いざ使いたい!ってなってからは本当に動けないんです。


体も脳もしんどすぎて、
我慢するしかなくなります。

大変になったその時に、妻の抱える困り感を
夫も同じように感じてるとは限りません。


これから赤ちゃんを望む方、
先々、どうなるんやろなぁ~
つわりとか来たらどうなんのかなぁ~

って思った時点で調べて動いてください。
体が動くうちに。余力のあるうちに。

各種のサポートをいつでも使えるように
登録だけでもしておくとすぐ使えますよ。

つわりが軽ければラッキー!
重ければすぐ頼れるように!

散在性脳脊髄炎って?障害受容までの道のり

あっという間に夏は過ぎて、9月に入りましたね。

日中は暑いのに、朝晩は寒い季節…

皆さん体調は大丈夫ですか?

アレルギーが絶賛悪化中のayaちゃんです(´;ω;`)

 

 

 

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今日は夫の障害受容の過程ついて記載していこうと思います。

 

 

散在性脳脊髄炎(ADEM)とは?

夫は、2014年に散在性脳脊髄炎を患いTh5の脊髄損傷となりました。

そもそも、散在性脳脊髄炎?なんぞや?ってやつですよね。

ウイルス感染や予防接種後に、脳や脊髄の白質に広範囲に障害が生じる疾患であり、自分自身の免疫反応が異常を来すため発症するそうです。

罹患率は10万人当たり0.8人で、子どもに多い病気です。

 

当時25歳だった夫。(私との出会いはこの2年後)

発熱が続いて内科を受診し、風邪の診断で解熱剤を処方されたそう。

1週間経っても解熱せず、頭痛が酷くなり脳神経外科を受診。

大きな病院を受診するよう言われ、すぐさま総合病院へ・・・。

おそらくウイルス性の脊髄炎との事で即入院となるも、日々症状は悪化。

高熱、頭痛、幻視、排泄機能障害が出現し1日に20回以上トイレへ歩き、バルーン挿入。MRIのため鎮静をかけた際に急変し、痙攣を繰り返す。人工呼吸器を付け大学病院へ搬送となった。

ステロイドパルス療法やガンマグロブリン療法でなんとか状態は落ち着いたものの、何度か生死をさまよっていたらしい。約1ヶ月続いた昏睡状態。

(いろんな種類の抗生剤を使ったため、耐性菌ができちゃって今後使用できる抗生剤がかなり限られてしまった・・・)

目を覚ました時には、目しか動かせなかったそう。

日に日に回復はしていくものの、指先が動く、首が動くと本当に少しずつ。

最終的に、Th5完全の脊髄損傷となったのでした。

 

障害受容までの道のり

告知は突然に・・・

夫の場合は、家族が本人へ告知するタイミングを悩んでいて、医療者側にはまだ伝えないで欲しいと希望していたらしい。(病状の回復、障害固定までですでに1年経過していた)

体が徐々に回復してきて、今後全快するだろうと信じていた。

そんなある日、入院も長くなってきて仲良くなった看護師にポロっと弱音を吐いた・・・(そりゃあ弱音の1つどころか100個くらい吐きたくなるよね)

そしたら看護師に「なに言ってんの、これからその体とずっと付き合ってかなきゃいけないんだから、リハビリ頑張らないと」とまさかの告知を受ける。

食事を何日も取れないほど落ち込んでたらしい。

現実を受け入れるまでの葛藤がわかる文章があったので少し抜粋して・・・。

リハビリ途中でまだ字が上手く書けてないですが。

(生前、自分の経験が誰かに役立つならと話していたので許可は得たという事で)

 

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文章から、沢山の葛藤・辛さ・悔しさ、言葉では表せないくらい考えて、考えて、考えてきたんだろうなと思ったのでした。

衝撃の告知後も、リハビリを重ね、少しずつできる事が増えていく。

1人で座っていられる、移乗できる、自己導尿できる…たくさんの出来るが増えていく。

まだまだ障害受容はできないながらも、新たな生活技術を得る事で、少しずつ前を向いていき、約2年の入院生活を終え自宅へ退院しました。

 

人目が気になる・・・

退院してすぐ、私は訪問看護師として夫と出会いました。

仕事で受診同行する機会があったのですが、病院内ではキャップを深く被り、俯いていた姿が今でも思い出されます。口数も少なく、人とは関わりたくないオーラが出てました。

後に、お付き合いをするようになり、一緒に近所を犬の散歩する時ですら回りを気にしていました。(ちなみに初デートが犬の散歩♡)

人目が気になるって、自分の事を自分で認められないから、過剰に反応してしまっているのではないだろうか。

私の住む町は、ドの付くド田舎。生きてきてマイ車椅子の方に出会った事があるのはたった2回。そりゃあ周りも見ちゃいますよ。だって珍しいもん。

当時の夫は「なに見てんのやって思う。なりたくてなったわけじゃない」「足だって細いし、腹もでてる」ってよく言ってました。

そんな時に、人目を気にする夫に大事件が。

私の息子と買い物に行った時の事。終始息子は夫の膝に乗りたがる。

基本YESマンの夫は降りて!と言えないわけですよ。

お客さんにはもちろん見られ、笑われ、「かわいい~」とまで声を掛けられる。

もうね、きっとなにかが外れたんでしょう。その後は一切人目を気にしなくなりました。(嘘でした、1度だけありました。結婚式です。一切友人を呼ぼなかった結婚式のお話はまた後程)

一人で出かけるようにもなって。どこにきっかけがあるかなんてわからないですね。

うみの杜水族館なんて、プッシュアップ以外全て夫のお膝で制覇した息子でした。

犬も乗る、息子も乗る、わたしも乗る。

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手動運転装置付きの新車を購入、そして就職

どこへ行くにも必要となるのが車。

2018年、手動運転装置付きの新車を購入しました。

自分の運転で出かけられる事がとにかく嬉しそうでした。

今までは仕事に対しても前向きではなかった夫が、自らハローワークへ出向いたのでした。

臨時職員ではあったものの、事務職で就職。

発病前は板金屋として働いていた夫。たまに「屋根やりてぇな」と話してた。やった事のない事務職。ここでも葛藤して、自分の気持ちに折り合いつけてきたんだと思う。

それでも1つできる事が増えると、次へ、次へと繋がって行く。

この年が、1番生き生きしていたと思う。

もう、夫の口からマイナスな言葉はほとんど聞かれなくなっていました。

2014年に発病し、脊髄損傷という後遺症が残った。

2018年、4年の歳月をかけて今の自分を受け入れて、前へと進んで行ったのでした。

 

障害受容の過程は本当に人それぞれ、10人10色のストーリーがあると思います。

今回は私から見た夫の受容過程です。

 

受容過程について参考までに恐ろしく読みにくい、フィンクの危機モデル貼っておきますね。

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あと、これだけは言っておきたい、言わせてください。

もし、受傷間もなくて、車椅子をこれから作る方がこの記事を読んでくれていたとしたら・・・

今は受け入れなくていい、いいんです。

でも、車椅子を作る時は軽い物を!!!

体に合う範囲で、軽いものをおおおおお

 

なぜなら、現実逃避した夫が作った車椅子は18kg・・・

これは後に本人も、妻も苦しめられるのであった。

(私の住む県では車椅子の購入のための補助は6年に1度申請できる。今年念願の新車購入予定だった)

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