ウィルチェアファミリーチャンネル

当ブログにご訪問ありがとうございます! 【wheelchair family channel 】ウィルチェアファミリーチャンネルです。 車椅子ユーザーでも臆せずパパママになれる社会にむけての情報をメインに発信しております。当たり前ですが、車椅子ユーザーでも家庭を持って子育てができます。 少しの工夫をみんなで共有して大きな愛のある生活を手に入れませんか?

車椅子の親を持つこども (親の気持ち)

 

前回の記事を更新したあと、

「介護や育児の苦労を美談にするのは終わりにしないかい?」

そんなツイートを見かけて、

「それや!!」となりました。

 

どうも私です(誰)


3連休、皆様いかがお過ごしでしたか?

私は家族で遠出して、翌日ぐったりのまま美術館に子どもを連れて行き、

最終日はあんなにやりたいやりたい騒いだのに

開始5秒で飽きられたスライム作りを頑張りました(´;ω;`)

 

 

今日はえりちゃんから以前リクエストがあったテーマです。

 

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えりちゃんのお子さんはまだ赤ちゃん。

これから大きくなるにつれ、楽しみも不安もいっぱいでしょうね。

 

それは私も同じです。

 

これから息子が小学校・中学校と進んでいく中で

車椅子の親を持つことをどう捉えていくんでしょうね??

 

反抗期とか怖ない? (震

 

 

 

「パパ・ママのお手伝いをするのよ!おおきくなったら助けるのよ」

 

ある時、私の母が赤ちゃんだった息子にこんなことを言いました。

 

「大きくなったらパパとママを助けるんだよ。」

 


 何?その呪い( ゚Д゚)

 


ちょっと待って。そんなつもりで産んだんじゃない。

ママとパパを背負う人生を送らせたいわけじゃない。

 

 

多くの車椅子パパママの皆さんはそうお考えなんじゃないでしょうか。

でも、世間の目はどうやら違うようなのです。

 

 

こんなことがありました。

パパと朝ゴミ捨てに行く息子を見て、近所の方が褒めてくださいました。

パパの良い相棒だね。偉いね。」

 

こう言われたら、

お手伝いしていることを褒められたのだと思いますか?

“車椅子のパパのお手伝い”だから褒められたんだと思いますか?

 

なんとなくですが後者じゃなければいいのに…。

そんなふうに思っています。

 

そうやって、車椅子のパパのお手伝い(=介助)をすることを

知らず知らずに課していってしまうことで彼を縛りやしないかな?と。

 

だから外で「そう言われたよ」と聞くと

私は意識的に、「“お手伝いして”偉かったね」「お手伝いできたね」と声を掛けます。

お手伝いしたことが偉いことなんだ!と本人に意識させるためです。

 

 

 

「優しい子になるよ」

 

また、よく言われるのが

障害のあるパパを見て育つんだから、優しい子になるよ。という言葉。

 

これ、相手にそのつもりはないんでしょうが

ある種の呪いの言葉じゃないかなと思っています。

 

 

車椅子パパの子どもだって、やんちゃでもいいしいたずらっこでもいいし

お転婆でもいいし泣き虫でもいいじゃないですか。

 

親が車椅子を使ってるというだけで、何が変わるというのでしょう。

 

例えば親がメガネだったら、子どもは何か変わりますか?

親が政治家なら、子どもは偉くなりますか?

親が警察官なら、子どもは犯罪者にはなりませんか?

 

それと同じことだと思うのです。

 

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車椅子に乗っていたって色んな親がいます。

車椅子以外のたくさんの背景をもって生きていて、たくさんの背景をもって子育てしています。

それは他の親と何も変わりません。

 

 

だから親が車椅子だろうが、子どもは当たり前にどんな風にも育つんです。

 

それを認めないと言われているようで、私には素直に喜べない言葉です。

 

 

 

介助要員として産んだわけじゃない

 

子どもは将来、

家を出てもいいし、日本を飛び出して外国に行ってもいい。

 

学校に行かずに働く人生になっても、10代で結婚する人生になっても、

犯罪者や加害者・被害者になりさえしなければ、

しっかりそれぞれの生き方のリスクを理解した上で自由に育って、

自由に生きて行けるように育てたい。

 

 

そりゃ優しくなってくれたらもちろんうれしい。

 

けど親が車椅子というだけで、優しくならなければならないと思い込まなくていい

それが私の思いです。

 

だから、彼が自発的に介助を手伝ってもお礼は言うけど褒めません。

介助や介護をすることを彼の役割だと思わなくていいようにです。

 

褒めてしまえば「これをしたらパパやママは喜ぶ」そう子どもは学びますが

私は彼を介助・介護要員として産んだわけではないのです。

 

 

まとめ

 

いつだったかネット上でこんな言葉が独り歩きしたことがありました。

「障害者こそ子どもを産んで、守ってもらわなければならない。」

 

 

障害があっても育児したいという気持ちの全てが 

そんな風だとは思われたくない。

 

子どもにも、周囲にも。

 

 

私たちがしたいのは

ただ子どもを育てたいだけ。

家族をしたいだけ。

 

 

子どもたちには

どうかできるだけ幸せに、健康に

おじいちゃんおばあちゃんになるまで生きて欲しいと願い、

彼らとちいさな幸せを共有していきたいだけ。

 

 

親としての私の気持ちはそんな風です。

みなさんは、いかがですか?

 

 

息子がパパの違いに気づいた日のことなど

車椅子の親と子どもについては

また時々、記事にしていきたいと思っています。