どうもこんにちは!頸髄損傷ボーイさんちゃん(猫好き)です。
早くもこの海の浅瀬で飛び込み首の骨を折る④まできたんですが一つ覚えてほしいのが
飛び込みや転落はマジで危険である!!!
TV番組の世界の果てまで行ってQなどでよく転倒シーンなどあるがあの瞬間は首の骨を折っている人間からしたらヒヤヒヤする。
僕はたくさんの当事者たちから事故の状況を聞いてはいるが
いつ何時誰がどうなるかわからない。
だからこそ知っておいてほしい。
無理に危険を冒すことはない。
もしするなら適切な場所、適切なタイミングを選びましょう!
車椅子って立てないから乗ってるだけじゃありませんよ。
坂道がこんなにも大変なのか感じますよ。
目の前にあるものも握れなくなったりしますよ。
尿や便を車椅子上で漏らしたりしますよ。
夏前だからこそ知っておいてほしいです。
くどくなってしまいましたが前回の続きから
wheelchairfamily.hatenablog.com
2012年10月、三つ目の病院~復活!?の回復期
結論から先に言いますが復活しません!
リハビリで足も動かないし指も動きません。
ADL(生活日常動作)?
なにそれ?
そんな回復期でした。
起立性低血圧がひどくリクライニング車椅子に乗せられても血圧が下がってリクライニングを倒して調整。こればっかりでした。
この頸髄損傷という障害を負うと普段の血圧が低くなり、起立性低血圧が起きる人がちらほら。全然平気だよぉ~っていう人もいれば薬を飲んで(上げる方)調整している人もいます。
僕は血圧めっちゃ低いです。そして薬は飲んでいません。ある理由があって。(また後日)
普段低い時は上が50前後の時もあり良い時は上が80~90ぐらいです(笑)だからしんどい時はずっとしんどい。運動すると血圧が上がったりするんですがずっとそうはいかないですよね。そんなときは無理せずゆっくりします。
雨の前の日になったりすると血圧が下がってきます。
気圧が関係してくるからです。
この気圧で明日雨降るなぁっと何となく分かります。ある意味人間天気予報です。
こんな知識もこの当時は全然知らなかったし誰も教えてくれなかった。
そんな回復期の病院で低い血圧の僕が動くと要注意人物になっていました。こんなにも血圧低かったらみんな怖いですよね。
なにも発展しないまま12月に突入。
受傷後初めての誕生日。お酒が大好きだった自分は毎年誕生日は飲み明け暮れていた。それは今年はできない。外泊すらもできない。
そんな煮詰まっていた自分に外出の許可をもらった。初めての外出だ。とは言ったもののリクライニング車椅子の自分はなにも出来ないのでその当時の彼女の車にセラピスト(リハビリの先生)2人で車の中の助手席に担ぎ込んでもらい彼女にドライブを連れていってもらった。
車を走らせ車の中で聞く音楽。
その音楽がかかるのと同時に受傷後初めて
声を出して大声で泣いた。
こんなにも声を出して泣けるのかというぐらい泣いた。
押し殺していた感情が一気に溢れた。
初めて見る障害者としての町の景色。そして田んぼ道。知っている景色だったがすべてが新鮮だった。感動もした。。。
約1時間半ぐらいのドライブだったがかなりすっきりした。
年が明け2013年。
最初から僕を担当していてくれたPT(理学療法士)が職場を変えるらしく辞めていった。色々相談や僕のことを考え助けてもらっていた。
そのPTが最後僕に
同じような障害の人でも車とか乗っている人もいるから。。。
え?その後の答えは?あなたも可能だよ?ってこと?
聞き返すことも出来ずその場は終わった。そして去っていった。。。
まず思ったこと!
エンジンをかけるにはキーどうやって差して回すの?指が不自由だからそんな器用なこと出来ないよ?
まぁ自分には無理だしその人はよっぽど特別の人だろうと思っていた。そんな当時だった。
この時にまさか今自分が運転できるとは思っていなかった。
リハビリが進む中で車椅子を漕ごう!ってなり病院の車椅子を漕いでみた。
体幹機能障害で体幹が効かないから普通の椅子にすら座っていられない。後ろから支えたりしてくれないと座位保持ができない。よく言われるのがバランスボールの上に乗っている感じである。
だから車椅子の背張りが低いとベッドで寝たきりだった僕は脊柱が硬くて体が反り返ってしまう。それを後ろから支えてもらってなんとか重い重い車椅子を漕いだ。
車椅子を漕ぐにはただ手だけで握るのではなく脊柱の柔らかさ体のしなり、重心のバランスなどいろんなことがあり奥が深い。
頸髄損傷の僕は握力0なので車椅子のハンドリム(通常握って漕ぐとこ)に手の平を当ててその摩擦で車椅子を進めるのが基本である。だからこんなグローブを作ってもらい滑らないように摩擦を起こしアクティブ用車椅子(軽い)に乗り日常生活を送るのが普通である。
現在使っているグローブ↓
(手のひら側はゴムが縫ってありそこを車椅子のハンドリムにあてて漕ぐ)
こんな立派なグローブもなく手のひらにチューブみたいなのを巻き付けて漕いだ。手が痛かった。そして全然漕げない。。。
この時頸髄損傷の情報も少なかった(地域柄?)のもありセラピスト達もどうしたらいいか分からなかった。
そんな試行錯誤のまま退院の時期を迎える。
退院前にドクター、セラピスト、家族、自分も含め会議を行った。退院後どうやって生活を送るか。。。
ドクターの意見では
このまま寝たきりの生活で誰かに介護してもらって生活を送る
ことになると言われた。
僕はそっかぁっと他人事でした。感情はそこにはなかった。
そんな回復期でした。
そして在宅生活を送る。
続く。。。